高麗氏館(埼玉県日高市) [古城めぐり(埼玉)]
←重文の高麗家住宅
高麗氏館は、渡来系の豪族高麗氏の居館である。高麗氏は朝鮮の高句麗王国の王族の末裔で、高句麗は約700年間中国大陸東北部から朝鮮半島北部を領有する王国であった。高句麗は隋、及び唐という強大な帝国の侵攻を幾度も受け、ついに唐3代高宗の時、668年に唐・新羅連合軍の攻撃によって滅亡した。この時、逃れた王侯貴族や僧侶が多数日本に渡り、716年5月に東国七ヶ国から高句麗人1799人を武蔵国に移して高麗(こま)郡を創建したと、続日本紀に記されている。高句麗の王族であった高麗王若光は、高麗郡の郡司に任命され、武蔵野の開発に尽くした。その死後、遺民はその遺徳を偲んで高麗神社を建て、以後若光の直系子孫の高麗氏が宮司を務めた。
高麗氏といえば、有名なのは南北朝期の武将高麗経澄であるが、これは秩父氏の流れで渡来系高麗氏とは別系統である。ついでなので高麗経澄の事績を付記すると、足利尊氏・直義の間で生起した観応の擾乱において経澄は尊氏方に付き、直義方の難波田城主難波田九郎三郎と羽祢蔵で戦い、これを討ち取ったことが伝わっている。
高麗氏の居館は未だにその場所が特定されておらず、いくつかの推定地があり、その一つが高麗神社である。中世豪族の高麗氏の居館がここにあったとは限らないが、ここでは一応高麗神社を以って高麗氏館と言うことにしておく。高麗神社の裏には、国重文の高麗家住宅が残っている。それ以外に、中世居館らしい遺構は一切残っていない。
お城評価(満点=五つ星):☆
場所:http://maps.gsi.go.jp/#16/35.898576/139.322788/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0f1
高麗氏館は、渡来系の豪族高麗氏の居館である。高麗氏は朝鮮の高句麗王国の王族の末裔で、高句麗は約700年間中国大陸東北部から朝鮮半島北部を領有する王国であった。高句麗は隋、及び唐という強大な帝国の侵攻を幾度も受け、ついに唐3代高宗の時、668年に唐・新羅連合軍の攻撃によって滅亡した。この時、逃れた王侯貴族や僧侶が多数日本に渡り、716年5月に東国七ヶ国から高句麗人1799人を武蔵国に移して高麗(こま)郡を創建したと、続日本紀に記されている。高句麗の王族であった高麗王若光は、高麗郡の郡司に任命され、武蔵野の開発に尽くした。その死後、遺民はその遺徳を偲んで高麗神社を建て、以後若光の直系子孫の高麗氏が宮司を務めた。
高麗氏といえば、有名なのは南北朝期の武将高麗経澄であるが、これは秩父氏の流れで渡来系高麗氏とは別系統である。ついでなので高麗経澄の事績を付記すると、足利尊氏・直義の間で生起した観応の擾乱において経澄は尊氏方に付き、直義方の難波田城主難波田九郎三郎と羽祢蔵で戦い、これを討ち取ったことが伝わっている。
高麗氏の居館は未だにその場所が特定されておらず、いくつかの推定地があり、その一つが高麗神社である。中世豪族の高麗氏の居館がここにあったとは限らないが、ここでは一応高麗神社を以って高麗氏館と言うことにしておく。高麗神社の裏には、国重文の高麗家住宅が残っている。それ以外に、中世居館らしい遺構は一切残っていない。
お城評価(満点=五つ星):☆
場所:http://maps.gsi.go.jp/#16/35.898576/139.322788/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0f1
タグ:居館
高麗経澄は渡来系の高麗氏ではなく平氏です。高麗に住んで高麗性を名乗っています。
by 通りすがりのものですが (2016-02-14 18:39)
>通りすがりのものですが さん
ご指摘ありがとうございます。記載を訂正しました。今後も何かお気づきの点があれば、よろしくお願いします。
by アテンザ23Z (2016-02-16 23:56)