SSブログ

茅ヶ崎城(神奈川県横浜市都筑区) [古城めぐり(神奈川)]

DSC09171.JPG←東郭から見た土橋と中郭
 茅ヶ崎城は、歴史不詳の平山城である。市街化した現在からでは想像がつきにくいが、かつては早渕川南岸の低地帯に半島状に突き出した台地上に築かれた要害堅固な城であったであろう。発掘調査の結果によれば、築城年代は14世紀末~15世紀前半頃と考えられ、少なくとも2度にわたる大規模な改築の跡が認められたと言う。おそらく当初は関東管領山内上杉氏か扇谷上杉氏が築いたものであろう。後、小田原北条氏の勢力が両上杉氏を駆逐すると、茅ヶ崎城も北条氏の支城網に組み込まれたと考えられる。この時の城主は北条氏家臣団の内、小机衆に属する座間氏や深沢備後守だったと言う説がある。1590年に北条氏が滅びると、廃城になったと考えられる。

 茅ヶ崎城は、現在城址公園として整備され、随所に詳細な解説板が設置された、誰にでもわかりやすい城郭遺構となっている。この公園化は極めて素晴らしく、遺構の破壊は最小限に抑え、住宅地の道端にわずかに残った土橋までそのまま残す丁寧さで、城址整備に当たった横浜市の見識の高さを示す。

 主要部は大きく4つの曲輪に分かれており、それぞれを空堀で区画し、更に各曲輪の周囲には土塁を築いて防御している。また北東側にも数段の腰曲輪があったようであるが、宅地化で失われている部分もある。主郭に相当する中郭の南側には、櫓台を兼ねたと考えられる大きな土塁が築かれ、中郭と東郭の間の空堀には土橋が掛かっている。見事な中世城郭であるが、空堀はいずれも直線的で横矢が掛かっておらず、北条氏の城としては単純な縄張りである。おそらく北条氏がこの城を抑えた頃には、繋ぎ城としての機能に特化されたためであろうか。

 これ程の遺構がこんな都会のど真ん中に残っているとは奇跡に近い。近隣住民の方々が大切に保存してきた熱意の賜物であろう。

 お城評価(満点=五つ星):☆☆☆☆(公園整備の姿勢に星一つ追加!)
 場所:http://maps.gsi.go.jp/#16/35.544623/139.579078/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0f1
nice!(5)  コメント(0) 
共通テーマ:趣味・カルチャー

nice! 5

コメント 0

コメントを書く

お名前:[必須]
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。

Facebook コメント