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福井城(福井県福井市) [古城めぐり(福井)]

IMG_4544.JPG←歪んだ天守台石垣
(2004年4月訪城)
 福井城は、徳川家康の次男結城秀康が築いた近世城郭である。元々この地には、織田信長の重臣で北陸方面軍の総司令官であった柴田勝家が築いた北の庄城があったが、1583年に信長死後の後継者争いで羽柴(豊臣)秀吉に滅ぼされ、北の庄城は落城した。1600年に関ヶ原合戦を制した徳川家康は天下の権を握り、秀康を北の庄に封じた。秀康は父家康に愛されず、関東の名族結城氏の養子となり、名跡を継いで結城の姓を名乗っていた。北の庄に入部した秀康は北の庄城を解体し、やや北にずれた位置に新城を築いた。これが福井城である。後、松平姓に復し、以後福井城は越前松平藩の歴代の居城となって幕末まで存続した。幕末に四賢侯と称された松平春嶽は、越前松平藩16代藩主であった。
 福井城はかつては壮大な規模の平城であったが、残念ながら本丸以外は市街化で湮滅している。本丸周囲には見事な石垣が残り、北西隅には天守台石垣も残っている。この天守台は、1948年の福井大地震で一部の石垣が大きく歪んでいる。本丸には現在福井県庁が建てられているので、内部は改変を受けている部分も多いと考えられる。本丸周囲には広い幅の内堀が全周に渡って残り、広い水面に浮かぶ要塞の如き石垣は、なかなか壮観な眺めである。往時の建築物は全て失われてしまっているが、最近になって、天守台脇に掛かる御廊下橋が復元されたそうである。もっと周囲の曲輪の遺構や建築物が現存していれば、さぞ見事であったろう。惜しいことである。

 お城評価(満点=五つ星):☆☆☆
 場所:http://maps.gsi.go.jp/#16/36.065561/136.220909/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0f1
タグ:近世平城
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