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松山城(愛媛県松山市) [古城めぐり(愛媛)]

DSC01172.JPG←本丸大手道
 松山城は、賎ヶ岳七本槍の一人として加藤清正・福島正則等と共に武勲を挙げた、加藤嘉明が築いた平山城である。現存12天守の一つとして知られ、姫路城と並ぶ連立式天守を有している。松山城が築かれた勝山は、室町時代以前は味酒山と呼ばれ、南北朝期には北朝方の湯築城に対抗する南朝方の砦が築かれ、戦国期には河野氏が湯築城の前衛拠点として城砦を構えていた。関ヶ原合戦で東軍に付いた加藤嘉明は、戦功によって伊予20万石に加増され、1602年から道後平野のほぼ中央に位置する要衝勝山に、松山城の築城を開始した。松山城は日本の築城史上、完成までに26年という最長の歳月を要した四国最大の城郭で、加藤氏は城の完成前に会津藩へ転封となり、その後入封した蒲生氏を経て、1635年から明治維新までの235年間、親藩大名松平氏の居城となって存続した。

 松山城は、大きく山頂部の本丸と山麓の二ノ丸、平地の三ノ丸から構成されている。平山城と言っても三ノ丸から本丸までの比高は100mを超え、地勢も縄張りも根古屋式の山城そのものである。三ノ丸は周囲に規模の大きな水堀と土塁が残っているほかは、美術館などが建っていて往時の面影はない。二ノ丸はかつては中学校が建てられていたが、現在は二ノ丸庭園などが復元され、大きな井戸跡も見ることが出来る。二ノ丸周囲には大規模な石垣の大手虎口(黒門)が残っており、幾重にも動線を屈曲させた極めて技巧的な作りになっている。二ノ丸から本丸に登る登城道沿いには、道沿いに石垣が散見され、一部は表面の石がなくなって裏込め石が露出しているようである。また登城道沿いに段曲輪らしき平場も見られ、まさに中世山城と近世城郭の過渡期の縄張りと言う印象である。山上の本丸には、豪壮な石垣の上に連立式天守や櫓などが多数現存し、筒井門に作られた隠門などの巧妙な仕掛けも残っている。天守は、国内に12しか残っていない現存の貴重なものであるが、江戸時代末期の再建なので、江戸時代初期までの築城技術が頂点を迎えた時期の城郭建築とはやや異なるものであることは注意した方が良い。また松山城には、現存例が国内に3つしかない登り石垣があるが、事前調査が足りなくて主要部の遺構を見逃してしまったのが残念だった。

 とにかく見所が多く、予定の2時間を大幅に超過する訪城時間となった。また山頂近くまでロープウェーが敷設されているが、二ノ丸周辺の虎口石垣の遺構を見逃す手はないので、城好きならば二ノ丸から行かないのは邪道であろう。ただ有名な観光地の割に、駐車場が少ないのがちょっと困り者であった。
山上に連なる遺構群→DSC01219.JPG
DSC01367.JPG←西側登り石垣の最上部

 お城評価(満点=五つ星):☆☆☆☆☆
 場所:http://maps.gsi.go.jp/#16/33.845398/132.765731/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0f1
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ノリパ

いいですね松山城。それがし大好きです。また行きたいデス。
by ノリパ (2010-07-25 19:44) 

アテンザ23Z

>ノリパさん
こんな城が、比較的近くにあるなんてうらやましいです。
私なんか、たぶん10年に1回ぐらいしか行く機会ないと思います。
by アテンザ23Z (2010-07-26 18:48) 

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