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北城(群馬県高崎市) [古城めぐり(群馬)]

DSC02725.JPG←畑の中に残る外堀跡
 北城は、北爪の砦とも呼ばれ、関東管領山内上杉氏の麾下で勇名を馳せた西上州の豪族長野氏の拠る箕輪城の直衛支城であった。1560年頃に築かれたとされ、守将の北爪土佐守は、武田信玄の西上州侵攻の際、箕輪城で戦って討死した。箕輪城の落城で長野氏は滅亡し、それに伴って北城は廃城になったと思われる。
 北城は、二重の堀で囲まれた、ほぼ方形の環郭式の平城であった。現在は城の中央を南北に道路が貫通し、城内は宅地や畑に変貌している。主郭はうどん屋さんのある辺りである。城域の西半分は遺構が比較的明瞭で、畑の中にわずかに堀跡が残っている。東半分は民家が並び、その痕跡すら失われている。日本城郭体系によれば、かつては虎口も明瞭であったようだが、今ではほとんど分からない。しかし、地元の人にはここが城跡であったことがしっかりと伝えられているようだった。

 お城評価(満点=五つ星):☆
 場所:http://maps.gsi.go.jp/#16/36.364110/138.976976/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0f1
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らんまる

海野平の合戦で敗れた真田幸隆は箕輪城に一時身を寄せていました。北爪氏とも面識があったのでしょうか・・・。
恩人である箕輪城主長野氏を攻めなければならなかった幸隆ですが、「俺の屍を越えて行け」という業正の声が聞こえたのでしょうか。武士です。
by らんまる (2010-09-12 18:08) 

アテンザ23Z

>らんまるさん
武士の世界は、たくさんの悲劇がついて回りますね。
自分が生き延びる為に、かつての主君や味方とでも戦わなければならない、非情な世界が繰り広げられていたんですね。
by アテンザ23Z (2010-09-13 20:28) 

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