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津幡城(石川県津幡町) [古城めぐり(石川)]

IMG_4680.JPG←土塁跡
(2004年4月訪城)
 津幡城は、加賀越中国境の倶利伽羅峠西麓に築かれた要衝である。1183年に平維盛率いる平氏軍が倶利伽羅峠の戦いを前に、街道を見下ろすこの小高い丘に砦を設けたと言われている。後に南北朝期の観応の擾乱の際には尊氏方の加賀守護富樫氏春が津幡城に拠って、直義方の越中守護桃井直常と戦った。戦国末期の1576年には、越中を平定した上杉謙信が加賀に侵攻して津幡に布陣し、七尾城平定の足掛かりとしたと言う。1583年には加賀の前田利家の領する所となり、越中の佐々成政との軍事的緊張が高まると、弟の前田右近秀継を入れて守らせた。翌84年に佐々成政の加賀侵攻によって生起した末森城の戦いでは、兵を率いて金沢城を発った利家は、津幡城に入って末森城救援の軍議をここで開いた。1585年、前田秀継が木舟城に移ると廃城となった。

 津幡城は、現在津幡小学校に変貌しており、周囲も宅地化され、往時の面影はない。しかしその地勢は現在でも明らかで、平地の中に浮かぶ独立丘陵状の高台であり、加賀能登越中の三方に繋がる街道が交差する要衝で、街道を扼して周囲を睥睨する絶好の陣場であったことは想像に難くない。小学校の正門を入って駐車場の西側には高台があり、おそらく土塁の跡なのであろう。ここには大きな慰霊碑が建ち、その脇に小さな城址碑が建っていて、往時そのままに今でも周囲を見下ろしている。

 お城評価(満点=五つ星):☆
 場所:http://maps.gsi.go.jp/#16/36.674219/136.734799/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0f1
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