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総社城(群馬県前橋市) [古城めぐり(群馬)]

DSC02821.JPG←櫓台が置かれた遠見山古墳
 総社城は、近世初期に秋元長朝が築いた平城である。秋元氏は元々、深谷上杉氏の三宿老の一人として活躍し、後には小田原北条氏の家臣となった。その事跡は秋元氏館の項に記す。1590年に北条氏が滅びると浪人となったが、後に井伊直政の推挙により徳川家康に仕えた。1601年に関ヶ原合戦の功績で総社に1万石で入部すると、長朝は蒼海城を放棄して新たに総社城を築いた。秋元氏は総社城に居る間に天狗岩用水などを開削し、新田開発に大きな足跡を残した。そして、2代泰朝の時、1633年に加増されて甲州谷村城に転封となり、以後総社城は廃城となった。

 総社城は、総郭南北780m、東西750mの同心円状の縄張りで、遠構えの西は天狗岩用水を大堀とし、各郭は濠と丸野面積みの石垣で被覆されていたと言う。しかし現在では、本丸と二ノ丸の半分は、利根川の浸食によって崩壊し、それ以外の曲輪も宅地化と耕地化によって遺構は完全に湮滅している。城域内に遠見山古墳が残るが、総社城の櫓台として使われたことからその名が付いたとされる。周囲にはほとんど城らしい痕跡は残っておらず、どこが城跡かかなり迷うほどである。よく見て回れば、あちこちに大手跡や木戸跡などの標識があるようだが、回る気力も起きず今回はパスした。

 お城評価(満点=五つ星):☆
 場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/36.410749/139.045898/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0f1
タグ:近世平城
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