愛宕山塁(東京都練馬区) [古城めぐり(東京)]
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愛宕山塁は、太田道灌が築いた陣城である。1476年に生起した長尾景春の乱で、豊島氏は景春方に付いた為、乱の鎮定に当たった道灌は豊島氏を攻めた。その経緯は石神井城の項に記す。1477年、江古田原・沼袋ヶ原で豊島氏を破った道灌は、豊島泰経が逃げ込んだ石神井城を攻める為、城の南方愛宕山に陣城を築いた。臨時的な城塁であった為、石神井城が落城すると廃されたと思われる。
愛宕山塁が築かれた場所は、かつては城山と呼ばれていたが、現在は早稲田高等学院に変貌している。石神井川を南から望む台地の突端にあり、遺構は全く残っていないが、石神井城を指呼の間に見渡すことができ、攻めるに好適な地勢であったことは想像に難くない。本格的な城ではないので、遺構が湮滅しているのも無理からぬことであろう。
お城評価(満点=五つ星):☆
場所:http://maps.gsi.go.jp/#16/35.732265/139.592553/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0f0
愛宕山塁は、太田道灌が築いた陣城である。1476年に生起した長尾景春の乱で、豊島氏は景春方に付いた為、乱の鎮定に当たった道灌は豊島氏を攻めた。その経緯は石神井城の項に記す。1477年、江古田原・沼袋ヶ原で豊島氏を破った道灌は、豊島泰経が逃げ込んだ石神井城を攻める為、城の南方愛宕山に陣城を築いた。臨時的な城塁であった為、石神井城が落城すると廃されたと思われる。
愛宕山塁が築かれた場所は、かつては城山と呼ばれていたが、現在は早稲田高等学院に変貌している。石神井川を南から望む台地の突端にあり、遺構は全く残っていないが、石神井城を指呼の間に見渡すことができ、攻めるに好適な地勢であったことは想像に難くない。本格的な城ではないので、遺構が湮滅しているのも無理からぬことであろう。
お城評価(満点=五つ星):☆
場所:http://maps.gsi.go.jp/#16/35.732265/139.592553/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0f0
自宅から石神井公園まで 出かけるときの通り道なのですが
知りませんでした。確かに納得のいく場所ですね(*^-^)。
by ☆はな (2010-10-17 09:21)
>☆はなさん
通り道でしたか。うちの近所でもそうですが、調べると近くに城跡があったりするので、けっこうびっくりしますね。
by アテンザ23Z (2010-10-17 23:49)