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燧ヶ城(福井県南越前町) [古城めぐり(福井)]

IMG_4907.JPG←枡形虎口の石垣
(2004年4月訪城)
 燧ヶ城は、源平合戦の頃から知られる古い山城である。木の芽峠へ通じる北陸道を扼する要衝で、杣山城金ヶ崎城と共に北陸の関門を制する要地であった。その為、歴史上幾度も合戦の舞台となった。1183年、挙兵後に越後の国府にいた木曽義仲が、平維盛率いる平家の義仲追討軍を迎え撃つために仁科太郎守弘・平泉寺長吏斎明威儀師を大将として城を築いて立て籠もらせ、日野川を堰き止めて周囲一帯を水浸しにした。しかし「北陸道第一の城郭」と源平盛衰記に謳われた燧ヶ城も、斎明威儀師が敵方に内通するに及んで陥落し、義仲軍は敗走した。倶利伽羅峠で平家方に大勝するのはこの後である。南北朝期の1336年、今庄入道浄慶が足利方の将としてこの城に立て籠もり、南朝の新田義貞に味方して挙兵した杣山城主瓜生保と対峙し、杣山城と金ヶ崎城の連絡を断つ作戦に出た。戦国時代には越前守護斯波氏の家臣赤座但馬守、その後魚住景固、そして一向一揆の際には本願寺坊官の下間頼照・藤島超勝寺・荒川興行寺等が立て籠もったが、1575年、織田軍に攻略され落城した。越前を平定した信長は、越前北の庄城に柴田勝家を入部させ、以後燧ヶ城は勝家の属城となった。その後の歴史は定かではない。

 燧ヶ城は、今庄宿の南に聳える山上にある。東西に伸びる尾根上に築かれている為、東西に長い縄張となっている。一直線に曲輪を連ね、曲輪間を堀切で分断しつつ土橋で連結している。堀切は小さく、城の規模も大したものではない。しかしこの城で出色なのは、虎口や枡形に石垣が使われていることである。大きなものではないが、この城のトレードマークと言ってもいい。しかも、土橋の一部には両側を石積みで補強しているものもある。この規模の中世城郭でここまで石積みを念入りに取り入れている例は珍しいと思われる。城跡は全体的に整備され、登城道も備わっているので、遺構は見やすい。

 なお、今庄は古い宿場町で、特に今庄宿の道筋には、往時の風情を感じさせる古い町並みが残っている。北陸にはそうした古い町並みが多く残っているが、中でも今庄は出色のものである。
石積みで補強された土橋→IMG_4919.JPG
 お城評価(満点=五つ星):☆☆☆
 場所:http://maps.gsi.go.jp/#16/35.768992/136.196694/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0f0
タグ:中世山城
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