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豊島清光館(東京都北区) [古城めぐり(東京)]

DSC04378.JPG←居館跡とされる清光寺
 蛇行する隅田川の南岸に現在建つ清光寺は、豊島権守清光の居館跡と伝えられている。豊島氏は秩父氏の庶流で、秩父別当武基の弟武常がこの地を開発して豊島氏を称したと言われている。武常の子太郎近義は源義家に属し、その孫が清光である。豊島清光は子の葛西清重と共に源頼朝の挙兵当初よりこれに従い、武蔵の大族江戸太郎重長を味方に引き入れる大功を挙げた。この後、豊島郡は豊島氏の本貫地として豊島氏が強力な地盤を持ち続けたが、室町時代に扇谷上杉氏の家宰太田道灌が江戸城に拠って勢力を拡大すると、豊島氏は次第に衰微し、豊島泰経・泰明兄弟の時に生起した長尾景春の乱で、豊島氏は景春方に付き、1477年、本拠の石神井城練馬城平塚城を道灌に次々と陥とされ、逃れた先の小机城で豊島宗家は滅亡した。但し、その子孫豊島勘解由左衛門尉康保は小田原北条氏に仕えたことが記録に残っている。

 豊島清光館があったとされる清光寺は、その名の通り清光の創建した寺で、鎌倉時代~室町時代前期にかけて大きな勢力を持つ寺院であったが、豊島氏の没落と共に荒廃したと言う。居館の遺構は全く残っておらず、現在は住宅地が密集した只中にある寺にしか過ぎなくなっている。

 お城評価(満点=五つ星):☆
 場所:http://maps.gsi.go.jp/#16/35.766885/139.743004/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0f0
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