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教来石民部屋敷(山梨県北杜市) [古城めぐり(山梨)]

DSC04965.JPG←小川沿いの腰曲輪状の張出部
 武田信玄の重臣として知られる馬場美濃守信房(信春)は、元の名を教来石民部影政と言い、その才知を愛した信玄より名門馬場氏の名跡を与えられ、馬場信房と改名した。教来石民部屋敷は、信房の教来石氏時代の屋敷跡である。現地解説板に拠れば、教来石氏は武田家支流の一条氏から派生した在地の武士団、武川衆の一員で、武田宗家に忠誠を尽くし、幾多の合戦で勇猛な働きをしたと伝えられている。武川衆は、信濃諏訪口の国境防衛にも大きな功績があり、その中で教来石氏の封地は最も国境に近く、この館の持つ重要性がわかるとされる。
 現在はほとんど遺構らしい遺構は残っておらず、見た目はただの原っぱだが、良く見て歩くと東と南に堀跡らしき跡があり、南の小川沿いには腰曲輪状の張出し部も見られる。サントリーの白州蒸留所に近いが、標識が出ていないので場所が非常にわかりにくく、探すのに苦労した。

 お城評価(満点=五つ星):☆
 場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/35.831819/138.300426/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0f0
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