伊達朝宗墓(福島県桑折町) [その他の史跡巡り]
伊達氏初代、念西入道朝宗は、藤原氏魚名流に属し中納言山蔭の後裔であった。出家して念西と称していた朝宗は、1189年の源頼朝の奥州征伐に息子達と共に従い、阿津賀志山合戦において奥州藤原氏の重臣佐藤基治の軍を撃破し、平泉勢の総崩れの原因を作った。その軍功によって伊達郡を賜り、この地に入部して高子岡城を築いたと言う。朝宗は1199年、72歳で没した。
朝宗の墓は桑折市街南西部にあり、1821年に仙台伊達藩は墓前に五輪の石塔を造立して供養した。江戸時代を通して、参勤交代の途次、伊達藩主はここに墓参するのを例としていたと言う。
現在は、宅地の片隅にひっそりと塚と五輪塔が残るだけである。しかし、奥州の名門伊達氏は、正にここから始まったのである。
場所:http://maps.gsi.go.jp/#16/37.841784/140.510974/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0f1
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