安宅関(石川県小松市) [その他の史跡巡り]
←松林の中の石碑
(2004年7月訪問)
安宅関は、歌舞伎の「勧進帳」で有名な関所である。源平合戦で武名を挙げた源義経であったが、後白河上皇からの叙任などを巡って兄頼朝との間に隙が生じ、遂に追討を受ける身となった。弁慶などわずかな供回りで北国街道伝いに、かつて世話を受けた奥州平泉の藤原秀衡の元に向かう逃避行の途次、安宅関を守る富樫左衛門泰家にその山伏姿を疑われた。弁慶は咄嗟の機転で白紙の巻物を勧進帳と称して読み上げ、疑われた義経を愚か者と涙ながらに撃ち据えて難を逃れた。泰家は、義経一行と気付いたものの、弁慶の侠義に感じてこれを見逃したと言う、有名なくだりである。
この一件は物語に過ぎず、安宅関の実在も疑われているが、有名な史跡であるので近くに行ったらちょこっと寄ってみたい場所である。遺構などは全くないが、現在は松林の中に石碑が建ち、義経・弁慶・富樫3人の銅像が建つ。また近くの安宅住吉神社にも、弁慶の銅像が建っている。
場所:http://maps.gsi.go.jp/#16/36.419176/136.417719/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0f1
(2004年7月訪問)
安宅関は、歌舞伎の「勧進帳」で有名な関所である。源平合戦で武名を挙げた源義経であったが、後白河上皇からの叙任などを巡って兄頼朝との間に隙が生じ、遂に追討を受ける身となった。弁慶などわずかな供回りで北国街道伝いに、かつて世話を受けた奥州平泉の藤原秀衡の元に向かう逃避行の途次、安宅関を守る富樫左衛門泰家にその山伏姿を疑われた。弁慶は咄嗟の機転で白紙の巻物を勧進帳と称して読み上げ、疑われた義経を愚か者と涙ながらに撃ち据えて難を逃れた。泰家は、義経一行と気付いたものの、弁慶の侠義に感じてこれを見逃したと言う、有名なくだりである。
この一件は物語に過ぎず、安宅関の実在も疑われているが、有名な史跡であるので近くに行ったらちょこっと寄ってみたい場所である。遺構などは全くないが、現在は松林の中に石碑が建ち、義経・弁慶・富樫3人の銅像が建つ。また近くの安宅住吉神社にも、弁慶の銅像が建っている。
場所:http://maps.gsi.go.jp/#16/36.419176/136.417719/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0f1
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