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大枝城(福島県伊達市) [古城めぐり(福島)]

DSC00255.JPG←東側の大空堀
 大枝城は、袖ヶ崎城とも言い、伊達氏の庶流大枝氏(現地表記では「大條」と書いて「おおえだ」と読む)の築いた城である。大枝氏は、伊達宗遠の3男で大膳太夫政宗(儀山公)の弟に当たる孫三郎宗行が大枝郷に分封されて大枝氏を称したのに始まる。以後、大枝氏は6代にわたって大枝郷に居を置いたが、1591年の伊達氏の岩出山移封に伴って志田郡大倉城に移り、大枝城は廃城となった。

 大枝城は、当時の伊達氏の本城梁川城の北北西2km程の、阿武隈川北岸の独立丘陵に築かれた平山城である。地勢は、阿武隈川に面する南側は急崖だが、北側にはなだらかな傾斜地が広がり、城を築くには絶好の場所である。本丸を南端の最上部に置き、北西下段に二ノ丸を、北東下部に三ノ丸を置いている。城内は現在果樹園などになっていて改変を受けているが、遺構は比較的良く残っている。特に本丸北東側の大空堀は見事である。逆に言うと見所はそれだけで、土塁の一部が残っているものの、ほとんどの土塁は湮滅しているようである。現在は数段の平場が広がり、西側下部に腰曲輪を伴うだけの二ノ丸周辺には、もっと土塁が築かれていたことが日本城郭大系の縄張図から知ることができる。北側の台地基部には二重堀切があったというが、これもわかりにくくなっている。要所は堀と土塁で防御を固めていたものの技巧的な部分はあまり見られず、割と古い形態の城だったようである。

 尚、平時の居館は大枝城の北西1kmにある住吉館だったと考えられている。
台地基部の堀切跡→DSC00300.JPG

 お城評価(満点=五つ星):☆☆☆
 場所:http://maps.gsi.go.jp/#16/37.871127/140.604025/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0f1
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