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梁川城(福島県伊達市) [古城めぐり(福島)]

DSC00369.JPG←北三ノ丸の見事な枡形
 梁川城は、一時期伊達氏の本城であった城である。源頼朝の奥州征伐の際、阿津賀志山合戦での戦功により伊達朝宗は伊達郡に入部して伊達氏の祖となった。当初は高子岡城を築いて居城としたが、3代義広は粟野大館を築いて居城を移した。梁川城は鎌倉時代に支城として築かれたと考えられており、9代大膳太夫政宗の頃には本城となったと考えられている。以後、伊達氏は梁川城を拠点に勢力を拡大し、1523年に伊達稙宗が陸奥国守護に補任されると、梁川城は奥州の政治的中心となった。1532年に稙宗が居城をより堅固な桑折西山城に移すと、梁川城は伊達宗清が城主となって伊達氏の重要な支城となった。1591年に伊達政宗(貞山公)が岩出山城に移封となると、梁川城は会津に入部した蒲生氏郷の支城となった。1598年には豊臣政権五大老の一人上杉景勝が会津に移封となり、梁川城もその支城となった。1664年まで上杉領として須田氏が城代を勤めたが、64年に天領となって梁川城は一旦廃城となった。1807年から松前領となり、一時期天領期間を挟んで幕末に至った。

 梁川城は、梁川市街東部の段丘上に築かれた城で、本丸を中心に周囲をいくつかに区画された二ノ丸・三ノ丸で囲み、東を金沢掘と言う空堀で東の山裾と分断していた。現在、本丸には梁川小が、南二ノ丸には梁川高校があり、それ以外は市街化してかなり変貌している。しかし、遺構は想像以上に良好に残っていて、小学校校庭には庭園跡と土塁・石垣があり、校舎裏の北西には上杉時代の大手虎口を守る横矢の張出しが見られる。いわゆる左袖であるが、虎口との距離が30m程あることから、鉄砲時代に構築されたものと思われる。更に北には北三ノ丸があったが、遺構はここが最もよく残っている。内部は団地となっているが、周囲には高さ5m以上にも及ぶ大規模な土塁が築かれ、更にその外側には水堀が残り、東側には見事な枡形虎口が残っている。ここは伊達氏時代の大手虎口とされる防御の要で、その規模は近世城郭の枡形に匹敵する。伊達氏時代のものに、蒲生・上杉時代に更に改修を加えたのかも知れないが、伊達氏の中世城郭に於いて見事な枡形虎口はトレードマークと言ってもよい。桑折西山城然り、舘山城然り、桧原城然りである。また北三ノ丸にも北の虎口を守る横矢張出しがあり、これも左袖となっていて、虎口までの距離から考えてやはり鉄砲時代に築かれたものだろう。そのほか、高校東側には金沢掘の遺構が残り、本丸西側の切岸もほぼ現存していると考えてよい。街中で変貌を遂げながらも、要となる遺構の残る城である。
北三ノ丸の大規模な土塁→DSC00374.JPG
DSC00330.JPG←本丸の庭園と土塁・石垣

 お城評価(満点=五つ星):☆☆☆☆
 場所:http://maps.gsi.go.jp/#16/37.855203/140.611149/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0f1
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