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保原城(福島県伊達市) [古城めぐり(福島)]

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 保原城は、懸田氏の家臣中島氏の居城である。伝承では、保原城の創築は伊達氏初代朝宗の子為重と言うが、確証はない。南北朝時代になると中島右衛門宗常の居城となったと言われる。中島氏は本姓藤原氏を称し、天文年間(1532~55年)頃の城主は、懸田俊宗の家臣中島伊勢宗忠であった。天文の乱の際には懸田俊宗は伊達稙宗方に付いたが、宗忠は主家に背いて伊達晴宗方に付いた。乱終結の後、和議条件の一つ、懸田城の廃棄に不満を募らせた俊宗は、1552年の夏、晴宗に背いて挙兵し、中島宗忠を保原城から追い落とした。しかし翌年、懸田俊宗が滅亡すると宗忠は伊達氏の家臣となった。中島氏は後の伊達輝宗時代に、相馬氏との戦いで活躍して伊具郡金山城を賜って移り、そのまま幕末まで存続した。一方、保原城は、1591年の伊達氏の岩出山城移封によって廃城となり、上杉領時代の1636年には小越清道が保原鎮将となって派遣された。その後、保原が白河藩領となると、城跡の西側に陣屋・倉場が構えられた。
 保原城は、現在その遺構は完全に湮滅し、全くその面影を留めていない。かつては周囲を水堀に囲まれ、内部を土塁で3つの曲輪に区切っていたようであるが、城跡は完全に市街化し、わずかに城ノ内の地名を残しているだけである。交差点横の中野病院の脇に、標柱が立っている。

 お城評価(満点=五つ星):☆
 場所:http://maps.gsi.go.jp/#16/37.820396/140.557548/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0f1
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