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伊達崎城(福島県桑折町) [古城めぐり(福島)]

DSC00465.JPG←西館北側の堀跡
 伊達崎(だんざき)城は、伊達氏の庶流伊達崎氏の居城である。伊達崎氏は、伊達氏初代朝宗の6男宗綱が伊達崎郷に分封されて伊達崎氏を称したのに始まる。後に、本家の伊達氏と姓が似ているので、混同を避ける為に田手氏に改称した。伊達家中を二分した天文の乱では、一族の田手治部丞・石見・隼人は伊達稙宗方に付いて没落し、田手助三郎実烈は伊達晴宗方に付いて、乱後に各地の所領を授かった。実烈の子宗光は、伊達氏の相馬氏に対する備えとして角田城に置かれた。江戸時代に入ると、最終的に宮床要害8千石に移り、伊達氏の一門として幕末まで存続した。なお戦国末期の伊達崎城は、角田にあった田手氏の本貫の地として保持されていたと推定されると言う。

 伊達崎城は、阿武隈川によって形作られた段丘上に築かれている。この段丘上には、他にも播磨館下郡山館が築かれており、居館を置くに好適な要害地形であり、その地勢は現在でも往時そのままである。伊達崎城は西館と東館の二郭から成り、当初は方形館の西館だけだったものが、田手氏の勢力伸張に伴って東館を築いて城地を拡張したらしい。城内は畑や民家となっているが、遺構は比較的よく残っており、特に西館の西側の土塁・堀や北側の堀は往時そのままの雰囲気である。また東館の北を走る道路に沿って、かなり埋められているものの堀跡が残っている。またこの地には、西舘・東舘・舘下などの地名も残り、往時の雰囲気のよく残る城である。

 お城評価(満点=五つ星):☆☆
 場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/37.855821/140.544566/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0f1
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