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綱取城(福島県北塩原村) [古城めぐり(福島)]

DSC03220.JPG←主郭背後の堀切
(2010年12月訪城)
 綱取城は、会津黒川城の戦国大名葦名氏の家臣松本氏の居城である。松本氏は、葦名氏の家臣団の中でも四天宿老の一人に数えられる重臣であった。綱取城の築城時期は不明であるが、1500年には主君葦名盛高に反旗を翻した松本勘解由がこの城に籠城し、葦名勢によって攻め落とされたと言う。その後、1505年には葦名盛高・盛滋父子が対立し、盛滋は松本源三・松本勘解由と共に綱取城に拠って戦ったが敗れ、盛滋は伊達氏を頼って落ち延び、綱取城は一旦廃城となった。その後、戦国後期になると、東の柏木城と共に取り立てられて、伊達氏に対する北の防衛拠点として葦名氏に重視されたという。

 綱取城は、国道459号線(米沢街道)の北側にそびえる比高100mの要害山山上に築かれた山城である。綱を取って登らなければならないほど険しい山城という意味で、綱取城と呼ばれたらしい。ちょうど狐落城の名の由来にそっくりであるが、比高もそれほど高くはないので、坂道が急は急でも実際にはそれほど急峻とは感じられない。城は、主郭を中心とする曲輪群で構成された中心部と、北出丸を中心とする曲輪群で構成された北出丸部に大きく分けられる一城別郭の構造である。二つの曲輪群の間は堀切で分けられているが、それほど大きな堀切ではない。この堀切も含めて、綱取城の堀切の規模はそれほど大きくない。しかしその一方で、虎口は結構小技の効いた構造で、規模は小さいものの枡形や木戸口の土塁が明確に残っている。主郭には櫓台があり、櫓台背後は三角形の曲輪形状で、周囲に土塁が作られている。この土塁には石積みがあったらしい。堀切の先の北出丸は、詰丸の西側に7~8段の段曲輪を設け、その先は横堀で遮断防御している。大規模な城ではないものの、中々変化に富んだ縄張りで面白い。行った当日があいにくの雪混じりの天気で、遺構の確認がちょっと大変だった。

 お城評価(満点=五つ星):☆☆☆
 場所:http://maps.gsi.go.jp/#16/37.657358/139.944202/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0f1
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