由井氏館(東京都八王子市) [古城めぐり(東京)]
←観音堂のある平場
由井氏館は、武蔵七党の一、西党の一流由井氏の居館である。由井氏は、西宗頼の子宗弘を祖とする。由井氏は、後に興った横山氏に押されて一時勢いを失ったが、鎌倉時代初期の和田合戦で横山氏が没落すると、伊豆出身の天野氏の勢力がこの地に入ってきた。天野顕茂の妹は由井氏に嫁いで是勝尼と称し、訴訟の末に、由井本郷の内「源三郎屋敷」を相続した。由井源三郎の家系は戦国時代まで続いた様で、大石定久の養子となって滝山城に入った北条氏照(北条氏康の次男)は、幼い時に由井氏の名跡を継いで、一時「由井源三」を名乗った。その後の由井氏の事績は定かではない。
由井氏館は、現在の弐分方町にある観音堂の地にあったと推定されている。遺構は全く無く、ただの平場があるだけで、どこまでが往時の遺構かも定かではない。尚、このすぐ南側に空堀状の地形があるが、遺構かどうか判断に迷う。
お城評価(満点=五つ星):☆
場所:http://maps.gsi.go.jp/#16/35.678930/139.276654/&base=std&ls=std&disp=1&lcd=red&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0f1
由井氏館は、武蔵七党の一、西党の一流由井氏の居館である。由井氏は、西宗頼の子宗弘を祖とする。由井氏は、後に興った横山氏に押されて一時勢いを失ったが、鎌倉時代初期の和田合戦で横山氏が没落すると、伊豆出身の天野氏の勢力がこの地に入ってきた。天野顕茂の妹は由井氏に嫁いで是勝尼と称し、訴訟の末に、由井本郷の内「源三郎屋敷」を相続した。由井源三郎の家系は戦国時代まで続いた様で、大石定久の養子となって滝山城に入った北条氏照(北条氏康の次男)は、幼い時に由井氏の名跡を継いで、一時「由井源三」を名乗った。その後の由井氏の事績は定かではない。
由井氏館は、現在の弐分方町にある観音堂の地にあったと推定されている。遺構は全く無く、ただの平場があるだけで、どこまでが往時の遺構かも定かではない。尚、このすぐ南側に空堀状の地形があるが、遺構かどうか判断に迷う。
南の空堀状地形→
お城評価(満点=五つ星):☆
場所:http://maps.gsi.go.jp/#16/35.678930/139.276654/&base=std&ls=std&disp=1&lcd=red&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0f1
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