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上杉龍若丸墓(神奈川県小田原市) [その他の史跡巡り]

DSC04328.JPG←墓の安置された祠
 上杉龍若丸は、関東管領山内上杉憲政の嫡子である。父憲政が河越夜戦にて惨敗し、逃げ帰った本拠の平井城も北条氏康に攻囲されて風前の灯となった時、越後に逃れた父と別れて小田原城下にて斬殺された。この経緯には2説あるようで、現地解説板に拠れば、平井城落城寸前に降伏の使者として重臣6人と共に小田原の北条氏康の元に赴いたが、少年とは言え大敵の嫡男であるとして家臣と共に首を刎ねて磔にしたと言う。また一説には、家臣の裏切りにより小田原の北条方に引き渡され、裏切りを憎んだ氏康は、龍若丸を裏切った家臣共々、龍若丸の首を刎ねたとも言う。
 上杉龍若丸の墓は、山王小学校前の民家の脇にひっそりと祠が建てられ、その中に6名の家臣共々五輪塔が安置されている。龍若丸の墓を建てた住人は、当然その事の成り行きを伝え聞いていたはずなので、もし龍若丸が家臣の裏切りで小田原に来たのならば、裏切った家臣の墓と共に龍若丸の墓を安置するのは不自然である。おそらくは、龍若丸は降伏の使者として小田原に赴いたものの、憲政が越後に逃亡して和約を反故にした為、斬首されたと見るべきではないだろうか?いずれにしても悲しい戦国の世の現実がここにある。

 場所:http://maps.gsi.go.jp/#16/35.257885/139.175781/&base=std&ls=std&disp=1&lcd=red&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0f1
タグ:墓所
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