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山王篠曲輪(神奈川県小田原市) [古城めぐり(神奈川)]

DSC04809.JPG←山王川対岸から見た山王神社
 山王篠曲輪は、中世小田原城の東方に位置した出丸である。1590年の大外郭完成の際、郭外に置き去られることになった為、捨曲輪とも呼ばれている。豊臣秀吉による小田原の役は、基本的に籠城する北条勢を大軍で取り囲んで長期包囲する戦略であったが、序戦の山王口では、この山王篠曲輪を巡って北条勢と徳川勢の間で激しい戦闘が繰り広げられたと言う。攻める徳川勢は、井伊直政が堀の埋草を用意し、稲垣氏茂が破船の船板を集めて討ち入りの際に掘底に敷き、乱入の夜は敵味方で水堀に落ちで死んだ者千余人に及んだと伝えられ、かなり深い堀で囲まれていたようである。
 山王篠曲輪は、現在の山王神社付近と言われ、徳川家康が陣を敷いた今井陣場の目と鼻の先に位置している。周囲は市街化し一切遺構は残っていないが、山王川を外堀とした防衛拠点であったと考えられる。
 尚、山王篠曲輪は小田原城の一部と考えた方が良いのかもしれないが、日本城郭大系に倣って別立てにして記載した。

 お城評価(満点=五つ星):☆
 場所:http://maps.gsi.go.jp/#16/35.256115/139.169816/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0f1
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