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篠原城(神奈川県横浜市港北区) [古城めぐり(神奈川)]

DSC09825.JPG←発掘された腰曲輪と堀切
 篠原城は、金子城とも金子出雲守の塁とも呼ばれ、小机城の支城である。小机城の東方2.6kmの位置にあり、比高20m程の小丘に築かれていた。金子出雲守は小田原北条氏の家臣で、元は玉縄衆であったが小机城の支城篠原城の城代として、城を預かっていたと言う。その他の歴史は不明である。

 篠原城は1月29日(土)に発掘調査説明会が開催され、その後は主郭東部分は宅地造成されてしまうということが2月初旬にわかり、「今ならまだ間に合うはず!」と、急遽2月中旬に訪城した。(というわけで、実は現在の訪城記、まだ2月のなんですぅ~(^^;。頑張って毎日UPしててもこんな状況なので、遅いのはご容赦を・・・。)既に一部の竪堀遺構は埋め戻しが始まっていたものの、なんとか発掘された遺構を確認することができた。

 篠原城は、東海道新幹線の新横浜駅近くにあり、こんな大都会でよくこれほどの遺構が残っていたものだと感心した。主郭はほぼ手付かず藪に覆われており、周囲の土塁や東側の大手虎口・土橋が明瞭に残っている。虎口構造は平易で、特に横矢が掛けられた形跡はない。主郭周囲は空堀で囲まれ、更に周囲を腰曲輪で防御していたようである。ただこの辺の遺構が明瞭なのは北半分だけで、南半分は薮と宅地化による改変でよくわからない。北側には更に腰曲輪や竪堀らしき遺構も確認できる。一方、今回が見納めとなる東曲輪の南半分であるが、段曲輪が発掘されており、その切岸や堀切・竪堀が埋め戻されつつも確認できたのはラッキーだった。尚、東曲輪の北半分は既に宅地となり湮滅している。いずれにしても塁と呼ぶのが妥当な、小規模な出城だったようである。その規模・地勢共に荏田城に似たものと思われる。行政当局には、これ以上破壊が進まない手立てをしっかりと講じて欲しい。
主郭北側の空堀→DSC09801.JPG

 お城評価(満点=五つ星):☆☆
 場所:http://maps.gsi.go.jp/#16/35.508963/139.622809/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0f1
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