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荏田城(神奈川県横浜市青葉区) [古城めぐり(神奈川)]

DSC00148.JPG←遠目に見た荏田城の現況
 荏田城は、小机城の支城と考えられる歴史不詳の城である。「新編武蔵国風土記稿」では、源義経の家臣荏田源三の居城との伝承を伝えている。一方、戦国時代の小田原北条氏による北条氏所領役帳からは、曾禰采女助が荏田を領したことが知られ、曾禰氏が小机城の支城としての荏田城を預っていたと推測される。

 荏田城は、東名高速と国道246号線に挟まれた比高20m程の小丘陵に築かれた城である。横浜市内の市街地の只中にあるが、奇跡的に遺構はほぼ完存しているようである。しかし、るなさんのブログ「旦さまと私」に「完全非公開の城」と記載されている通り、地主さんの強い意向で全ての見学が拒否されている。私もダメ元で山麓の民家(地主の御分家とのこと)にお邪魔して見学をお願いしたが、「立入りは一切お断りする事になっています。本家の代わりにお断りします。市からも断るよう言われています。」と言われ、けんもほろろに見学拒否されてしまった。思うに、先祖代々厳重に他人の立入りを禁止して山を守るよう言い伝えられてきたものか、或いは心ない城好きが立ち入ってゴミなどを捨てていったため市と相談して断ることになったのかも知れない。いずれにしても、そうした地主さんの強い意向故に、道路建設でも破壊されることなく貴重な遺構が守られて現在に至っていることは、幸いというほかはないだろう。破壊され湮滅した城と比べればはるかにマシである。遠目に見ても竹林が丁寧に手入れされている模様で、腰曲輪の塁線がはっきりと確認できる。

 尚、日本城郭大系に記載の縄張図に拠れば、方形の主郭とU字型の土塁で囲まれたニノ郭で構成され、各曲輪の周囲を空堀で囲んでいた様である。また主郭南東部には腰曲輪から空堀に土橋が掛けられており、この空堀は東側で竪堀に変化しており、鉢形衆の城によく見られる北条氏の築城法の特色を持っている様である。東京都が文化の日に期間限定で石神井城主郭を公開している様に、いつの日か荏田城も期間限定で公開されることを期待したい。

 お城評価(満点=五つ星):-(見学できないので評価なし)
 場所:http://maps.gsi.go.jp/#16/35.560911/139.555990/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0f1
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