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越前勝山城(福井県勝山市) [古城めぐり(福井)]

IMG_6189.JPG←城址碑の建つ市民会館
(2004年9月訪城)
 越前勝山城は、江戸時代中期に小笠原氏がこの地に入封して新たに築いた近世城郭である。元々は、戦国時代末期の1580年に、織田信長の重臣柴田勝家の一族柴田勝安によって築かれた。賤ヶ岳合戦で柴田氏が敗北して滅亡すると、勝山城には成田重政・長谷川秀一が入部したが、1601年に徳川家康の次男結城秀康が越前に入り福井城を築くと、勝山は越前松平藩の支配下に入った。その後、元和の一国一城令に廃城となって以降、この地に城はなく代官陣屋があっただけであった。1691年、小笠原貞信が2万3千石で勝山に入封すると、必死で幕府に築城許可を求め、ようやく1709年に旧城の再建という名目で築城が許可された。しかし藩財政の状況は厳しく、築城は遅々として進まず、1826年、7代信貴の代に至ってようやく一応の完成を見たという。ただ、天守は建てられず天守台が積まれただけであった。幕末まで存続し、そのまま廃城になった。

 勝山城は、現在は完全に市街化し、遺構は全て湮滅している。外堀として利用された大蓮寺川がその流れを残すのみである。現在の市民会館と西方寺が本丸に当たり、教育会館や中央公園が二ノ丸に相当する。市民会館前に建つ城址碑だけが往時を物語る、悲しい運命の城である。尚、ここから南東約2kmの位置にある勝山城博物館は、その威容(異様?)を誇っているが、城址に建てられた模擬天守ですらない、全く架空の城である。

 お城評価(満点=五つ星):☆
 場所:http://maps.gsi.go.jp/#16/36.061260/136.500245/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0f1
タグ:近世平城
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ノリパ

去年の夏にここ行きました。何かないかな、とウロウロしたのに、あったのは碑一つだった事を思い出しました。
by ノリパ (2011-09-03 07:51) 

アテンザ23Z

>ノリパさん
近世城郭なのにこれだけ壊滅的に遺構がなくなっていると、
ちょっと悲しすぎますね。
by アテンザ23Z (2011-09-03 09:16) 

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