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藤沢敵御方供養塔(神奈川県藤沢市) [その他の史跡巡り]

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 藤沢敵御方供養塔は、上杉禅秀の乱で戦死した敵・御方(味方)を供養する為、1418年に造立された石塔である。上杉禅秀は上杉四家の一、犬懸上杉家の当主で、鎌倉公方足利持氏の下で関東管領を務めていた。しかし持氏と対立し、関東管領を罷免された禅秀は、1416年10月、広く関東諸豪を巻き込んで大規模な反乱を起こした。しかし室町幕府が持氏に援軍を送った為、翌年1月に禅秀ら一族は鎌倉雪ノ下で自害し乱は集結した。
 藤沢敵御方供養塔の銘文末の日付は塔の造立日で、乱が起きてからちょうど三回忌に当たる。「敵御方」とは戦乱の勝者である鎌倉公方足利持氏に対しての敵味方を指し、持氏が発願主となって、時の遊行寺住職太空上人を導師として造立したものと考えられていると言う。
 高さ1m程しかない比較的小さな石塔であるが、国指定史跡となっている。かつての戦乱の日本では、戦いの勝者も「明日は我が身」ということで、敵であっても供養した例は多い。持氏も、供養塔造立の20年後に永享の乱という戦乱を起こして滅びたことを考えると、感慨深いものがある。

 場所:http://maps.gsi.go.jp/#16/35.347721/139.488655/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0f1
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