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米子城(鳥取県米子市) [古城めぐり(鳥取)]

DSC05554.JPG←市内から見た山頂の石垣
 米子城は、吉川広家が築城を開始し、中村一忠によって完成された近世城郭である。元々は飯山城と呼ばれ、応仁・文明年間(1467~87年)に伯耆守護山名教之の配下山名宗之によって築かれたと言われている。築城以降、出雲・伯耆国境の城として争奪の的となった。その後、1591年に西伯耆・東出雲・隠岐の領主吉川広家が、月山富田城に代わる近世城郭として築城を開始したが、1600年の関ヶ原の戦いの後、広家は岩国に転封となり、代わって中村一忠が伯耆18万石に封ぜられて築城を続け、1602年に完成された。しかし一忠はわずか20歳の若さで急逝して中村家は断絶し、その後、幾つかの城主の変遷を経て、1632年から鳥取城主となった池田光仲の家老荒尾内匠助成利が、1万5千石で米子城主となり、幕末まで荒尾氏の歴代の居城となって存続した。

 米子城は、比高90mの湊山に築かれた平山城で、近世城郭らしく石垣の多い城である。しかも虎口の枡形などが巧みに配置されているのも、近世城郭らしい。頂上の本丸にはかつて五重の天守を備えた天守台があるが、天守台石垣の傾斜は周囲の石垣と比べて緩く、かなりの重量を支える為に築かれたことが窺われる。天守台上に天守の礎石がよく残っているのは珍しい。米子城は一城別郭の縄張りを持った城でもあり、三つの山にそれぞれ本丸・内膳丸・采女丸を分散配置している。麓の二ノ丸はかつて城主居館があり、その周囲も総石垣となっている。三ノ丸は野球場となってしまい湮滅しているが、復元する計画もあるようだ。ついこの間まであまりその存在を認識していなかった城であるが、見事な遺構で素晴らしい。
天守台から見た内膳丸→DSC04715.JPG

 お城評価(満点=五つ星):☆☆☆☆
 場所:http://maps.gsi.go.jp/#16/35.425025/133.324295/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0f0
タグ:近世平山城
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evergreen

山陰を旅行したおりに訪れましたが、期待していなかったのですが、とても印象にのこっている城です。
by evergreen (2011-09-27 14:28) 

アテンザ23Z

>evergreenさん
おっしゃる通りですね。
私もそれほど期待していませんでしたが、
なかなかの城でした。
by アテンザ23Z (2011-09-27 15:01) 

DC1700

地元の城址が褒められていると
嬉しくなります.
Yahoo にて "米子城 CG" と検索して出る
企業が地域貢献目的で作成したという復元図
の掲載サイトがあります。
by DC1700 (2013-02-20 15:37) 

アテンザ23Z

>DC1700さん
当ブログをご訪問いただきありがとうございます。
米子城は、山上に積み上げられた石垣がなかなか壮観で
素晴らしいですね。
郷土の誇りだと思います。
地元の会社や有志で、
より一層城を盛り上げていっていただけるといいですね。
by アテンザ23Z (2013-02-21 21:40) 

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