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院庄館(岡山県津山市) [古城めぐり(岡山)]

DSC07449.JPG←わずかに残る土塁跡
 院庄館は、鎌倉期から室町期にかけての美作守護職の居館と推定されている。また、太平記におけるエピソードで有名である。即ち、倒幕を企てて敗れた後醍醐天皇は幕府に捕らえられ、隠岐配流のため護送される途中、院庄に宿営した。密かに天皇奪還を計画した備前の住人児島高徳は、護送団が予測と異なるルートを通ったために奪還を果たせず、せめて帝に自分たちの思いを知らせたいと、密かに院庄の庭の桜木に「天莫空勾践 時非無范蠡」の詩を記したというものである。戦前の皇国史観では広く称揚されて有名であった話だが、今は知っている人も少ないであろう。また、児島高徳自体が伝説上の人物で、実在が確認できないので、後醍醐天皇が本当にこの地に宿営されたのかも定かではない。

 院庄館は、単郭方形居館で、現在は作楽神社となっている。神社の周囲には水堀が南以外の三方に残っており、一部に土塁も残っている。ただ日本城郭大系に拠れば、土塁は遺構であるが、水堀は第二次大戦末期から戦後にかけて神社の整備事業として掘られたものだそうである。神社南東の広場には井戸跡が発見されて解説板が立っているが、井戸自体は埋め戻されて見ることはできない。太平記にまつわる伝説の地として、わずかに中世城館の跡を残すだけである。

 お城評価(満点=五つ星):☆☆
 場所:http://maps.gsi.go.jp/#16/35.062162/133.943135/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0f0
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