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津山城(岡山県津山市) [古城めぐり(岡山)]

DSC07162.JPG←ホテルから見た津山城全景
 津山城は、森忠政が築いた近世城郭である。元々は、嘉吉の乱における赤松氏討伐で功を挙げた山名教清が美作守護に任ぜられ、嘉吉年間(1441~44年)に、鶴山と呼ばれたこの地に一族山名忠政に命じて城を築かせた。時代は大きく下って1603年、森忠政は信濃川中島から18万6500石で美作に移封され、当初院庄の構城跡に居を構えた。忠政は、織田信長の家臣森可成の6男で、森蘭丸の弟に当たる。忠政は、美作入部の翌年から12年もの歳月をかけて津山城を築き、現在に残る堂々たる近世城郭に仕立て上げた。森氏は4代95年にわたってこの地を支配したが、1697年に嗣子無く国を除かれた。翌98年に親藩松平越後守宣富が津山城に入り、以後、幕末まで存続した。

 津山城は、3段の石垣を備えた堂々たる近世城郭で、複雑に組まれた石垣は見事というほかはない。非常に枡形の多い城で、幾重にも動線を屈曲させた厳重な虎口構造を取っている。大手門も動線が180度屈曲しており、天守台周囲も複雑な枡形を迷路状に張り巡らして防御しており、まるで「桝形の鬼」とでも呼ぶべきほどのものである。津山城から宮川を挟んで東側には、丘陵地が控えているため、そこからの砲撃を意識してか、本丸東側には異例とも言うべき高石垣が築かれている。この石垣は本丸からの高さは6~7mほどもあり、非常に珍しいことに外側だけでなく本丸に面した内側にも石垣が積まれている。砲弾が貫通しないよう石垣で補強したものであろうか。津山城にはかつては層塔型の五重天守がそびえていたが明治7年に解体され、現在は復元された備中櫓だけが往時の面影を語り継いでいる。古写真が豊富に残る城なので、他の櫓や天守が大々的に復元される日がいずれ来るかも知れない。是非津山市の頑張りに期待したい。
本丸東側の高石垣→DSC07634.JPG
DSC07495.JPG←大手門内の反転する動線
天守台の迷路状虎口→DSC07591.JPG

 お城評価(満点=五つ星):☆☆☆☆☆
 場所:http://maps.gsi.go.jp/#16/35.062741/134.005104/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0f0
タグ:近世平山城
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