山中鹿介幸盛墓(岡山県高梁市) [その他の史跡巡り]
山中鹿介幸盛は、月山富田城主尼子氏の庶流山中氏の出で、幼少の頃より主家尼子氏に仕え、尼子氏が毛利氏に滅ぼされると、尼子勝久を奉じて再興戦を繰り広げて奮戦した。その経緯は、山中幸盛屋敷の項に記載する。最後は上月城を毛利氏に攻め落とされて捕らえられ、備中松山城へ護送される途中、阿井の渡し場で謀殺された。
現在、鹿介最期の地に立派な墓が建てられている。1713年に松山藩主石川侯の家臣前田時棟が建てたものと言う。墓の位置から考えると、阿井の渡しは高梁川とその支流の成羽川の合流点近くにあったようである。備中松山城から南西に3~4kmの位置である。突然斬殺された鹿介は、さぞ無念であったことだろう。しかしその劇的な生涯が、返って鹿介の名を後世に広めることになったのかも知れない。
場所:http://maps.gsi.go.jp/#16/34.779831/133.597838/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0f0
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