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横田城(栃木県宇都宮市) [古城めぐり(栃木)]

DSC09677.JPG←横田城の石碑
 横田城は、宇都宮氏の庶流横田氏の初期の居城である。宇都宮氏5代頼綱の次男越中守頼業が横田郷に入部して横田氏を称し、鎌倉時代初期の1237年に横田城を築いた。1249年に上三川城を築いて居城を移すまで、横田氏の居城であった。横田氏は、同じ宇都宮一門の多功氏などと共に宇都宮城の南方を押さえ、室町・戦国期を通して宇都宮宗家に従って奮戦し、広範に一族が分派した宇都宮一門でも屈指の有力支族であった。1380年に小山義政が宇都宮基綱を攻めた裳原合戦では、横田師綱・綱業父子が奮戦した。また、1549年に宇都宮尚綱が那須氏を攻めた五月女坂合戦でも、那須氏の奇襲で危地に陥った当主尚綱を庇って、横田綱維ら5兄弟が枕を並べて討死するなど、常に宗家の左右にあって身を挺してこれを守っていたようだ。その後、宇都宮氏が豊臣秀吉によって改易されると、横田氏は帰農した。

 横田城は、住宅地の中に石碑があるらしく、以前から探していた。今回、3月の震災時のガソリン危機で購入した、車載可能な折りたたみ自転車と、新たに購入したPNDを使って、ようやく探し当てることができた。かつては五稜形の平城だったと言うが、付近一帯は一面の住宅地に変貌し、遺構は完全に湮滅している。しかし、東側には小川が流れ、外堀の名残かもしれない。尚、この付近を兵庫塚と言うが、「兵庫塚」の地名は横田氏が武具を埋蔵したことに由来すると言う。以前から何かしらの由緒のある地名だとは思っていたが、横田氏が関係していたのか・・・。

 お城評価(満点=五つ星):☆
 場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/36.495596/139.858564/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0f0
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