大神古戦場(神奈川県平塚市) [その他の史跡巡り]
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大神古戦場は、牛ヶ渕古戦場とも呼ばれ、1569年の武田信玄の小田原遠征の際に、北条方の軍勢が武田勢を迎撃した合戦である。大神から八幡原にかけての一帯は「牛ヶ渕」と呼ばれ、相模川と水田によって狭まった要衝であったと言い、真芳寺砦を拠点に北条方の軍勢が集結したと言う。北条方は寡勢だったらしく、武田勢に敗れてその侵攻を阻止することは出来なかったが、小田原城の備えを固める時間を稼ぐことに成功した為、信玄は小田原城攻略を短時日で諦め、戦略的には北条方が勝利を収めたものと考えられる。
真芳寺の北にある隆盛寺の門前に古戦場の碑が建っており、地形が変貌した中に、わずかにその歴史を伝えている。
場所:http://maps.gsi.go.jp/#16/35.391009/139.368492/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0f0
大神古戦場は、牛ヶ渕古戦場とも呼ばれ、1569年の武田信玄の小田原遠征の際に、北条方の軍勢が武田勢を迎撃した合戦である。大神から八幡原にかけての一帯は「牛ヶ渕」と呼ばれ、相模川と水田によって狭まった要衝であったと言い、真芳寺砦を拠点に北条方の軍勢が集結したと言う。北条方は寡勢だったらしく、武田勢に敗れてその侵攻を阻止することは出来なかったが、小田原城の備えを固める時間を稼ぐことに成功した為、信玄は小田原城攻略を短時日で諦め、戦略的には北条方が勝利を収めたものと考えられる。
真芳寺の北にある隆盛寺の門前に古戦場の碑が建っており、地形が変貌した中に、わずかにその歴史を伝えている。
場所:http://maps.gsi.go.jp/#16/35.391009/139.368492/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0f0
タグ:古戦場
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