藤原乗国居館(神奈川県横浜市港南区) [古城めぐり(神奈川)]
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藤原乗国は、宅間憲忠のことと推測されている。宅間氏は、鎌倉府で関東公方足利氏を輔翼した上杉四家(山内・扇谷・犬懸・宅間)の一つで、四家の中では最も勢力が弱かったが、足利家に連なる名門上杉氏の一族であったため、戦国時代に入っても小田原北条氏から「宅間殿」と尊称された。その居館は、上永谷町の「伊予殿根」にあったと推測されているが、「伊予殿根」の地名は、宅間憲忠の子憲方が伊予守を称しことから生じたと考えられている。北条氏支配時代には宅間伊織綱頼が領主で、北条氏の傘下に入っていたと言う。尚、上杉氏は藤原氏の流れであった為、藤原とも呼ばれたのであろう。
藤原乗国居館は、現在の永野小学校付近と推定されている。港南区のHP「歴史の散歩道~こうなん道ばたの風土記」に、「馬蹄形の丘陵に囲まれて、南口が開き、前には水掘の役目を果たす永谷川が流れる地形は、鎌倉期の城郭を想像させるものがある」と記載されている通りの地勢で、市街化で遺構は望むべくもないが、居館が築かれる地形的条件は揃っていたようである。
尚、居館推定地南方の天神社・貞松院背後の天神山と呼ばれる丘陵地は、日本城郭大系では宅間氏関連武将の居館と推測し、港南区では宅間氏の詰城と推測している。天神山頂部は平場となっているが、すぐ南に市営地下鉄が通っているために山が削られており、元がどの程度の広さの平場であったのかは、現在では確認できない。独立小丘であるが、近くで見るとなかなか威圧感のある山容である。
お城評価(満点=五つ星):☆
場所:【居館推定地】http://maps.gsi.go.jp/#16/35.405544/139.570323/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0f0
【詰城推測地】http://maps.gsi.go.jp/#16/35.402833/139.570345/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0f0
藤原乗国は、宅間憲忠のことと推測されている。宅間氏は、鎌倉府で関東公方足利氏を輔翼した上杉四家(山内・扇谷・犬懸・宅間)の一つで、四家の中では最も勢力が弱かったが、足利家に連なる名門上杉氏の一族であったため、戦国時代に入っても小田原北条氏から「宅間殿」と尊称された。その居館は、上永谷町の「伊予殿根」にあったと推測されているが、「伊予殿根」の地名は、宅間憲忠の子憲方が伊予守を称しことから生じたと考えられている。北条氏支配時代には宅間伊織綱頼が領主で、北条氏の傘下に入っていたと言う。尚、上杉氏は藤原氏の流れであった為、藤原とも呼ばれたのであろう。
藤原乗国居館は、現在の永野小学校付近と推定されている。港南区のHP「歴史の散歩道~こうなん道ばたの風土記」に、「馬蹄形の丘陵に囲まれて、南口が開き、前には水掘の役目を果たす永谷川が流れる地形は、鎌倉期の城郭を想像させるものがある」と記載されている通りの地勢で、市街化で遺構は望むべくもないが、居館が築かれる地形的条件は揃っていたようである。
尚、居館推定地南方の天神社・貞松院背後の天神山と呼ばれる丘陵地は、日本城郭大系では宅間氏関連武将の居館と推測し、港南区では宅間氏の詰城と推測している。天神山頂部は平場となっているが、すぐ南に市営地下鉄が通っているために山が削られており、元がどの程度の広さの平場であったのかは、現在では確認できない。独立小丘であるが、近くで見るとなかなか威圧感のある山容である。
天神山頂部の平場→
お城評価(満点=五つ星):☆
場所:【居館推定地】http://maps.gsi.go.jp/#16/35.405544/139.570323/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0f0
【詰城推測地】http://maps.gsi.go.jp/#16/35.402833/139.570345/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0f0
タグ:居館
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