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稲毛館(神奈川県川崎市) [古城めぐり(神奈川)]

DSC00288.JPG←傾斜地に建つ広福寺
 稲毛三郎重成は、鎌倉時代初期の御家人である。小山田荘の別当であった小山田城主小山田有重の子で、北条時政の娘(北条政子の妹)を妻としていた。源頼朝とは妻を通じて義理の兄弟に当たっていた為、その寵遇を受け、鎌倉北方防衛の要地の一つであった稲毛荘を領した。この時、枡形城を詰城として築き、その北麓に居館を築いたとされる。これが稲毛館である。しかし頼朝死後、同じく妻方の義兄弟に当たる畠山重忠を讒訴して滅ぼした為に誅殺された。
 稲毛館は、現在の広福寺の地にあったと言われている。枡形城の築かれた枡形山の北麓の傾斜地中腹に当たり、前面の五反田川を天然の外堀とした地勢だった様である。遺構は残っていないので、地勢からその存在を推し量るしかない。尚、広福寺には、稲毛三郎重成のものとされる墓があるが、「新編武蔵国風土記稿」では重成のものとすることに否定的見解を示しているらしい。

 お城評価(満点=五つ星):☆
 場所:http://maps.gsi.go.jp/#16/35.614517/139.559530/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0f0
タグ:居館
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