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帰雲城(岐阜県白川村) [古城めぐり(岐阜)]

IMG_Scan_005.JPG←城址碑と帰雲山の崩落跡
(2004年9月訪城)
 帰雲城は、謎の一族内ヶ島氏の居城である。何故謎かといえば、内ヶ島氏は1585年の大地震で、一族郎党がその居城もろとも山体崩壊した大量の土石流に巻き込まれ、全てが闇の中に埋もれてしまったからである。内ヶ島氏は、元々足利将軍に奉仕した奉公衆であったと言われ、内ヶ島上野介為氏が寛正・文明年間(1460~87年)頃に8代将軍義政の命で白川郷に入部したとされる。為氏は、帰雲山に帰雲城を築いて歴代の居城とした。為氏以後、雅氏・氏理と3代に渡って白川郷を支配した内ヶ島氏は、一向衆などとの抗争を生き抜いて戦国大名化し、向牧戸城・萩町城などの支城を築いた。しかし1585年、織田信長の天下統一事業を継いだ羽柴秀吉の命により、越前大野城主金森長近が飛騨に侵攻すると、内ヶ島氏理は抵抗を試みるが向牧戸城を落とされ、結局氏理は長近に降服し、辛くも本領を安堵された。氏理が居城に戻って本領安堵の祝宴を開いた11月29日の夜、北陸に大地震が起こった。帰雲山は山崩れを起こし、内ヶ島一族郎党数百人が城諸共飲み込まれ、埋没して地上から一瞬にして消え失せたと言う。

 帰雲城は、大量の土砂に埋没したとされる為、その正確な位置も判明していない。一般には帰雲山の中腹にあったと推測されている。現在はその庄川対岸の国道156号線沿いに「帰雲城埋没地」の大きな看板と、城址碑・菩薩像等が建てられている。その背後に見える帰雲山には、現在でもポッカリと大きな口を開けた崩落跡が不気味に残っている。不思議なのは、400年以上も経っているのにこの崩落跡にはほとんど草木が生えていないのである。埋蔵金伝説まで残る帰雲城は、すべてが謎に包まれている。

 お城評価(満点=五つ星):☆
 場所:http://maps.gsi.go.jp/#16/36.210052/136.892813/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0f1
タグ:中世山城
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コメント 6

evergreen

調査されている方々がいるようで、発掘も計画していたようですね。
しかし、もし日本にシュリーマンがいたとしても、
土石流では、遺構の特定は難しいのかもしれませんね。
by evergreen (2012-01-17 10:34) 

アテンザ23Z

>evergreenさん
最近は超音波などによる地中探査の技術などもあるので、
その気になればいろいろ方法はある気がするのですが。
そのうち国の事業で探査してくれると、
大発見があるかも知れませんね。
by アテンザ23Z (2012-01-17 22:17) 

evergreen

10年ほど前でしょうか、その地中探査に関わったことがあります。
といっても、私の仕事は探査ポイントの測量でしたが。
結果を見せてもらいましたが、サッパリ分かりませんでした。
解析にもスキルが必要なようです。
by evergreen (2012-01-19 09:25) 

アテンザ23Z

>evergreenさん
なるほど、まだまだ難しい技術なのですね。
以前に世田谷城で、民家の地下から地中探査で堀跡が
確認されたのを聞いたことがありますが、
一部の例外的なものでしょうか。
by アテンザ23Z (2012-01-19 13:39) 

evergreen

いえいえ、そういう事ではなくて、
調査結果を解析する事が「技術」だという事ですね、
先日、元寇の船の海底探査をしていましたが、
プロが見れば、「何かがある」とすぐ分かるみたいです。
元寇船の場合、以前の調査では、
発掘場所がほんの数メートルのずれて見つからなかったそうですから、
最近の探査技術は、かなりの物だと思いますね。

by evergreen (2012-01-19 18:41) 

アテンザ23Z

>evergreenさん
探査画像の中から「なにか」を見分ける能力ですか。
その道のプロは、素人じゃさっぱりわからないものでも、
見分けられるんでしょうね。
やっぱり、今後の探査に期待したいですね。
by アテンザ23Z (2012-01-19 21:28) 

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