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丸子城(神奈川県川崎市) [古城めぐり(神奈川)]

DSC00404.JPG←日枝神社付近の現況
 丸子城は、日本城郭大系では丸子陣場と記載され、長尾景春の乱の際に登場する城である。景春の父、長尾景信は山内上杉氏の家宰であったが、その死後の1473年6月、家宰職は景信の弟・忠景に与えられた。これは山内上杉氏当主の顕定が、長尾氏の勢力増長を恐れてのこととも言われている。景春はこれを不服として、主家上杉氏に反発、3年後の1476年に鉢形城を築いて立て籠もり、 反旗を翻した。これが長尾景春の乱である。景春は関東各地の有力豪族を味方に誘い込み、大規模な反乱となった。武蔵の豪族豊島氏も景春方に付き、石神井城練馬城平塚城等に立て籠った。この時、山内上杉氏を輔翼する扇谷上杉氏はその家宰、太田道灌を派して乱の鎮圧に当たらせた。戦術に巧みな道灌は関東を転戦し、1477年、豊島泰経の拠る石神井城を落とし、泰経が敗走して籠った平塚城をも攻め落とした。泰経は更に小机城に逃れて抗戦を続けたが、この時豊島氏残党の一部が立て籠もったのが丸子城である。城主の名は不明であるが、「新編武蔵国風土記稿」では古河公方足利成氏に属する武将と推測している。

 丸子城は、日枝神社から上丸子小学校にかけての付近にあったと伝えられている。現在は市街化で全くその痕跡を残していない。多摩川西岸の平地に当たり、要害地形ではないことから、「城と言うより臨時で取り立てたもの」との推測もなされている。

 お城評価(満点=五つ星):☆
 場所:http://maps.gsi.go.jp/#16/35.578941/139.667848/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0f0
タグ:中世平城
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