SSブログ

上杉憲幸館(神奈川県川崎市) [古城めぐり(神奈川)]

DSC00429.JPG←殿町にある水神宮
 上杉憲幸は、室町時代中期より関東管領を世襲した山内上杉氏の一族と考えられる武士である。伝承によれば、上杉憲幸は山内上杉氏の武蔵北鎌田の城の城代を務めていた。後に家臣荒金国貞・貞経兄弟と共に小田原北条氏を迎え撃つため大師河原に城を堅め、稲田新田殿町に館を構えた。これが上杉憲幸館である。しかし1538年、関東管領上杉憲政の命で城を北条方に明け渡し、憲幸は上総姉ヶ崎の松原氏の元に預けられたと言う。これは、北条氏綱が、第一次国府台合戦で小弓御所足利義明・里見義堯らの連合軍を破って、武蔵を掌握した時期に当たる。その後、憲幸は本人の願いで北条氏に引き取られ、大師河原近くの藤崎に居館を構えた。その後、安房里見氏が鎌倉に乱入した際、迎え撃って討死にしたと言う。その子式部大輔氏幸が跡を継ぎ、北条氏は相模六浦の武田氏の息女を娶せた。憲幸・氏幸父子はその貴種性から、北条氏家中において「御牢人」と呼ばれる客分扱いとされ、六郷殿と尊称された。その居館は北鎌田にあったとされる。1590年に北条氏が滅亡すると氏幸も浪々の身となり、小机領星川に移住したと言う。

 上杉憲幸館は、現在は多摩川河口付近の南岸の殿町という地域の中にあったとされる。かつての多摩川は、殿町の南を流れていたと考えられていて、往時は多摩川の北岸に位置し、本拠地北鎌田を防衛する拠点であったことが推測されると言う。しかし現在は、一面の住宅地で遺構は残っていない。正確な場所は不明であるが、ここでは仮に水神宮付近としておく。

 お城評価(満点=五つ星):☆
 場所:http://maps.gsi.go.jp/#16/35.540171/139.745418/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0f0
タグ:居館
nice!(6)  コメント(0) 
共通テーマ:趣味・カルチャー

nice! 6

コメント 0

コメントを書く

お名前:[必須]
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。

Facebook コメント