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安達義景別荘〔附、鶴見原古戦場〕(神奈川県横浜市鶴見区) [古城めぐり(神奈川)]

DSC00462.JPG←別所にある熊野神社
 安達義景別荘は、鶴見別荘とも呼ばれ、安達藤九郎右衛門尉景盛の子秋田城介義景の別邸であった。吾妻鑑には、1241年に将軍藤原(九条)頼経が武蔵野開発の方違の為に安達義景の鶴見別荘に出掛けたことが記載されていると言う。

 安達義景別荘の所在地は明確ではないが、鶴見区北寺尾に別所の地名が残っており、この地の丘陵上にある熊野神社の付近ではないかと推測される。谷戸地形に面した丘陵地であるが、一面の住宅地で遺構は残っていない。

 尚、この地は交通の要衝であったため、南北朝期に2度の合戦の舞台となっている(鶴見合戦)。一度目は、1333年5月。上野で挙兵した新田義貞は、鎌倉街道を一路南下し、関東諸豪を糾合しつつ鎌倉に迫った。これに呼応して、下総有数の豪族千葉貞胤が鎌倉目指して進軍し、これを迎え撃った幕将金沢貞将と鶴見の地で合戦となった。貞将は惜敗し、鎌倉に退き引いた。二度目は、1335年の中先代の乱の時である。建武の新政が開始された後、北条方残党は得宗北条高時の遺児北条時行を奉じて関東で大規模な叛乱を起こした。その経緯は井出の沢古戦場の項に記載する。鎌倉府を預かる執権足利直義(尊氏の弟)は軍勢を差し向け、鎌倉目指して南下する北条方の別働隊と、迎え撃つ鎌倉側の佐竹一族が鶴見付近で合戦となった。この戦いで佐竹貞義の5男義直が討死にしたと言う。現在の一面の住宅地からは、古戦場であったことなど想像もつかない変わり様である。

 お城評価(満点=五つ星):☆
 場所:http://maps.gsi.go.jp/#16/35.515286/139.662226/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0f0
タグ:居館 古戦場
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