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亀之甲山陣城(神奈川県横浜市港北区) [古城めぐり(神奈川)]

DSC00503.JPG←陣城から見た夕暮れの小机城
 亀之甲山陣城は、長尾景春の乱の際に、太田道灌が小机城攻めの為に築いた陣城である。景春の父、長尾景信は山内上杉氏の家宰であったが、その死後の1473年6月、家宰職は景信の弟・忠景に与えられた。これは山内上杉氏当主の顕定が、長尾氏の勢力増長を恐れてのこととも言われている。景春はこれを不服として、主家上杉氏に反発、3年後の1476年に鉢形城を築いて立て籠もり、 反旗を翻した。これが長尾景春の乱である。景春は関東各地の有力豪族を味方に誘い込み、大規模な反乱となった。武蔵の豪族豊島氏も景春方に付き、石神井城練馬城平塚城等に立て籠った。この時、山内上杉氏を輔翼する扇谷上杉氏はその家宰、太田道灌を派して乱の鎮圧に当たらせた。戦術に巧みな道灌は関東を転戦し、1477年、豊島泰経の拠る石神井城を落とし、泰経が敗走して籠った平塚城をも攻め落とした。泰経は更に景春方の矢野兵庫助らが立て籠もっていた小机城に逃れて抗戦を続けた。道灌は小机城を攻囲するに当たって、亀之甲山陣城を築いて本陣とした。そして2ヶ月の攻囲戦の末に小机城を落城させた。

 亀之甲山陣城は、小机城の北東1.4km程の高台に位置している。鶴見川北岸の丘陵の先端に当たり、鶴見川を天然の外堀とし、眺望にも優れ、小机城の動きを見張るのに絶好の陣場である。現在城跡は新横浜テクノヒルズ企業団地という工場団地となっており、遺構は湮滅している。しかし地勢は残っており、今でもこの地からは小机城がよく望見できる。折しも夕暮れ時に訪城したため、夕空に浮かぶ富士山をバックに小机城が見え、美しい光景だった。道灌もこの景色を見ていたのかと思うと感慨深かった。

 お城評価(満点=五つ星):☆
 場所:http://maps.gsi.go.jp/#16/35.517155/139.608389/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0f0
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