観音堂砦(神奈川県横浜市神奈川区) [古城めぐり(神奈川)]
←宗興寺の裏に残る大井戸跡
観音堂砦は、小田原北条氏の家臣間宮四郎左衛門が築いたと言われる砦である。権現山城からわずか200~300m程しか離れておらず、また権現山合戦の際に奮戦した北条方の武将の中に間宮彦四郎の名が見えることから、後に笹下城を築いて本拠とした間宮氏の一族が関与した城砦であったことはほぼ確実と思われる。おそらくは権現山城の出丸として機能したものであろうか。
観音堂砦は、現在の宗興寺の建つ場所にあったとされている。現在の地勢から見ると、権現山のある段丘の東麓の微高地であったと思われるが、宗興寺の裏には江戸時代を通して使われた大井戸の跡が残っていることから、水の手として機能していたのかも知れない。いずれにしても市街化で遺構は湮滅している。
お城評価(満点=五つ星):☆
場所:http://maps.gsi.go.jp/#16/35.472414/139.631263/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0f0
観音堂砦は、小田原北条氏の家臣間宮四郎左衛門が築いたと言われる砦である。権現山城からわずか200~300m程しか離れておらず、また権現山合戦の際に奮戦した北条方の武将の中に間宮彦四郎の名が見えることから、後に笹下城を築いて本拠とした間宮氏の一族が関与した城砦であったことはほぼ確実と思われる。おそらくは権現山城の出丸として機能したものであろうか。
観音堂砦は、現在の宗興寺の建つ場所にあったとされている。現在の地勢から見ると、権現山のある段丘の東麓の微高地であったと思われるが、宗興寺の裏には江戸時代を通して使われた大井戸の跡が残っていることから、水の手として機能していたのかも知れない。いずれにしても市街化で遺構は湮滅している。
お城評価(満点=五つ星):☆
場所:http://maps.gsi.go.jp/#16/35.472414/139.631263/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0f0
タグ:中世平城
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