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俣野五郎景久屋敷(神奈川県横浜市戸塚区) [古城めぐり(神奈川)]

DSC00965.JPG←屋敷伝承地1付近
 俣野五郎景久は、大庭景宗の末子で、俣野郷に分知されたため俣野氏を称した。源頼朝が挙兵すると、兄の大庭景親と共に石橋山で叛乱鎮圧のため戦い、源氏方の真田与一と暗夜の格闘をしたと伝えられている。その後、頼朝が安房で再起し、関東諸豪をその傘下に収めて鎌倉に入り、大庭景親を梟首にすると、景久は京に奔って平維盛の軍に合流した。そして倶利伽羅峠で木曽義仲の軍に敗れ、再度決戦を挑んだ加賀篠原の戦いで討死した。
 俣野五郎景久屋敷は、正確な場所は判明していないが、幾つかの伝承地が存在する。その内有力なものの一つは、国道1号線の藤沢バイパス出口交差点近くの台地上である。山林になっているがフェンスで周りを囲まれており、中に入ることはできない。日本城郭大系によれば、既に地形が改変されて旧状を失っていると言う。もう一つの伝承地は、そこから北に2.5km程の上俣野地区である。俣野神社の西側付近であるらしい。民家や畑となっていて、伝承地という以上のものはないが、近くには景久にまつわる観音堂がある。
上俣野地区の伝承地2→DSC00978.JPG

 お城評価(満点=五つ星):☆
 場所:【屋敷伝承地1】http://maps.gsi.go.jp/#16/35.359927/139.492357/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0l0u0t0z0r0f0

    【屋敷伝承地2】http://maps.gsi.go.jp/#16/35.383583/139.491262/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0l0u0t0z0r0f0


週刊ビジュアル日本の合戦 No.40 源頼朝と石橋山・富士川の合戦

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コメント 6

俣野の子孫。

記事を拝見させて頂きました、ありがとうございます、

by 俣野の子孫。 (2015-03-09 16:13) 

アテンザ23Z

>俣野の子孫。さん
こんばんは。当ブログをご訪問頂きありがとうございます。俣野景久のご子孫でしたか。もし世に知られていない事績や逸話など、何かしらの情報をお持ちでしたら、お話しいただけると大変光栄です。今後ともよろしくお願いします。
by アテンザ23Z (2015-03-09 20:35) 

歴史好きの者より

俣野五郎景久の家紋をご存じでしょうか、


by 歴史好きの者より (2017-02-26 09:43) 

アテンザ23Z

>歴史好きの者さん
こんばんは。当ブログをご訪問頂きありがとうございます。
俣野景久の家紋ということですが、大庭氏の一族ですので、
大庭氏と同じ「三つ大文字」ではないかと推察します。
しかし確たる証拠があっての話ではありません。
by アテンザ23Z (2017-02-27 20:46) 

俣野子孫

俣野の家紋は抱き茗荷です。
by 俣野子孫 (2017-11-30 18:34) 

アテンザ23Z

>俣野子孫さん
家紋のご教示ありがとうございます。大庭氏とは家紋が違うのですね。勉強になりました。
by アテンザ23Z (2017-11-30 23:10) 

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