青木屋敷(東京都町田市) [古城めぐり(東京)]
←八幡神社参道沿いの平場
青木屋敷は、源頼朝の家臣青木二郎の屋敷と言われている。伝承によれば、頼朝が奥州合戦からの帰途関所を設け、青木二郎に守らせたと言う。しかし青木二郎についての事績は不明で、その関所跡も一説には鶴見川の南岸に広がる神奈川との県境西側に隣接する丘陵地とも、また別説では木暮八幡神社付近とも言われている。前者は既に宅地化で旧状は一変しているが、後者は丘陵上の神社境内となっている。ここではHP「多摩の古城」の記事に倣って、木暮八幡神社付近としておく。いずれも明確な遺構はないが、木暮八幡神社の参道沿いには数段の段曲輪状の平場があり、ほのかに城館らしさを漂わせている。但し、遺構かどうかは不明である。
お城評価(満点=五つ星):☆
場所:http://maps.gsi.go.jp/#16/35.571899/139.460396/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0f0
青木屋敷は、源頼朝の家臣青木二郎の屋敷と言われている。伝承によれば、頼朝が奥州合戦からの帰途関所を設け、青木二郎に守らせたと言う。しかし青木二郎についての事績は不明で、その関所跡も一説には鶴見川の南岸に広がる神奈川との県境西側に隣接する丘陵地とも、また別説では木暮八幡神社付近とも言われている。前者は既に宅地化で旧状は一変しているが、後者は丘陵上の神社境内となっている。ここではHP「多摩の古城」の記事に倣って、木暮八幡神社付近としておく。いずれも明確な遺構はないが、木暮八幡神社の参道沿いには数段の段曲輪状の平場があり、ほのかに城館らしさを漂わせている。但し、遺構かどうかは不明である。
お城評価(満点=五つ星):☆
場所:http://maps.gsi.go.jp/#16/35.571899/139.460396/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0f0
タグ:居館
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