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淵辺義博居館(神奈川県相模原市) [古城めぐり(神奈川)]

DSC01038.JPG←居館跡に建つ石碑
 淵辺伊賀守義博は、足利氏の家臣である。太平記によれば、中先代の乱の時、後醍醐天皇の皇子成良親王を奉じて鎌倉府執権であった足利直義(尊氏の弟)は、鎌倉防衛の最後の砦井出の沢でも敗れて危殆に陥り、鎌倉放擲を決断した。その際、鎌倉に幽閉されていた護良親王が敵軍に奪取されて奉じられることを恐れ、淵辺義博に護良親王暗殺を命じた。護良親王を殺害した義博は、その後三河に向かって敗走する直義軍に合流したらしく、駿河国手越河原の合戦で討死したと言われている。

 しかし淵辺義博についてわかっているのはこの程度で、その他の事績は明らかではない。ただ、直義が親王暗殺という重大事を任せた程であるから、足利の家臣団の中でも信頼の厚い武士だったものと推測される。名乗りについても一説には淵辺「甲斐守」とも言われ、苗字を「淵野辺」とするものもある。今川了俊の『難太平記』では、「淵辺という年来の者が、「まず御前に討死つかまつろう」と言って、ただ一騎大勢の中に馳せ入って討たれた。」と簡潔に記されているのみである。

 淵辺義博居館は、東京都と神奈川県の県境を流れる境川西岸の台地上に築かれており、江戸時代後期までは馬場や土塁の跡が残っていたとされる。しかし現在は市街化で遺構は確認できない。しかしそれでもアパートの裏の空き地に、立派な石碑が建てられている。

 お城評価(満点=五つ星):☆
 場所:http://maps.gsi.go.jp/#16/35.572353/139.407417/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0f0
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wakuwaku

私も以前読んだ「風の群像」で、護良親王の首を切ったのが、淵野辺義博ということを知って、また、私はその淵野辺に住んでいるので、身近に感じて驚いてしまいました。そこで、アテンザさんも行った、渕辺義博居館跡に私も行ってきました。
 この館の近くには、中里橋という、境川をまたいでいる橋があり、その脇に「別れ榎」の碑があります。そこの看板には「淵辺義博は護良親王の首を落とさずに家来の首を差し出し、護良親王を近くの龍像寺に匿い、ほとぼりが冷めた頃に、自分は妻や子と別れを告げて、奥州に旅立った」と書いてあります。地元にはこういう伝説が残っています。
by wakuwaku (2013-06-23 11:23) 

アテンザ23Z

>wakuwakuさん
「風の群像」は私も読みましたが、足利尊氏や後醍醐天皇をあまりに利己主義的な人物として描いていて、好きになれない小説でした。私としては吉川英治の「私本太平記」がお勧めです。

ところで、淵辺義博が護良親王を密かに助けた話ですが、この件に限らず南北朝時代は、戦前には「南朝側が忠臣」という前提でかなり歪められているので、注意が必要ですね。

なにか、せっかく頂いたコメントに対して、否定的な返信になっていまい申し訳ありません。悪気はないので、お許し下さい・・・。
by アテンザ23Z (2013-06-23 23:44) 

wakuwaku

 真摯な回答で、恐れ入ります。「私本太平記」時間ができたら読んでみたいです。

ところで、貼り付けている写真は、箱根峠近くにある山中城跡の障子掘りですか?
私も以前行った時に、余りにも綺麗に整えられた堀々に、感動しました。
知人の堀オタクも絶賛していたほどです。関東ローム層が登ることを拒んでいたと、書いてありました。

by wakuwaku (2013-06-24 22:37) 

アテンザ23Z

>wakuwakuさん
お察しの通り、プロフの写真は山中城の障子堀です。
国の指定史跡なので、お金を掛けて大々的に復元整備していて、
遺構が素晴らしくて感動モノですよね。
私が初めて山中城に行った時は、たまたま前夜に雪が降り、
珍しい「雪の障子堀」が堪能出来ました。
by アテンザ23Z (2013-06-25 01:47) 

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