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大久保長安陣屋(東京都八王子市) [古城めぐり(東京)]

DSC01084.JPG←陣屋跡の産千代稲荷神社
 大久保石見守長安は、徳川家康の家臣である。元は甲斐武田氏に仕えた猿楽師の子と言われ、武田氏滅亡後、徳川家康の重臣大久保忠隣に才腕を認められ、その推挙を受けて徳川家に仕えるようになった。そして忠隣の庇護を受けて大久保の姓を与えられた。1590年に小田原北条氏が滅び、関東に入部することとなった家康は、江戸に入城して領国経営を急いだが、この時長安に北条氏照が支配した八王子一円を代官頭として支配させて、新田開発と甲斐国境の固めを行わせた。八王子落城間もない多摩一帯では、北条氏遺臣が不穏な動きをしていたが、長安は家康の許しを得て、これら遺臣を代官や千人同心に取り立てて民政を整え、横山宿に代官衆の陣屋が置かれた。関ヶ原の合戦後、長安は更に出世して石見・佐渡・伊豆の鉱山奉行を兼ね、1613年に没した。死後、佐渡金山奉行中に不正に莫大な蓄財を為したとされて、墓を暴かれて屍は鞭打たれ、遺子7人は全員死罪となった。また大久保忠隣も失脚した。これは、忠隣と本多正信・正純父子との政争によるとされる。(いわゆる大久保長安事件)

 大久保長安陣屋は、現在の産千代稲荷神社の地にあったと言われている。江戸後期まで土塁が残っていたと言うが、現在は市街化で遺構は完全に湮滅している。ただ、境内はわずかに微高地となり、神社入口に陣屋跡の石碑と解説板が建てられている。

 お城評価(満点=五つ星):☆
 場所:http://maps.gsi.go.jp/#16/35.658517/139.324847/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0f0
タグ:陣屋
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