黒川丸山城(神奈川県川崎市) [古城めぐり(神奈川)]
←城址付近の現況
神奈川と東京の県境近くにある丸山城は、歴史不詳の城である。中世の通信基地として物見や烽火台が置かれたと考えられている。多摩丘陵の北辺に位置する丘陵上にあり、西側には鎌倉街道が通り、また飛鳥時代から平安時代にかけては、相模国府と武蔵国府を結ぶ古代東海道がこの付近を通っていたとされ、この街道沿いに併設された烽火台であった可能性も指摘されている様である。
丸山城は、比高僅か20m程の円丘の上にあり、現在は黒川配水場が建てられている為、城内に進入はできない。当然破壊も受けており、遺構は確認できない。大丸城と同じく単郭の砦だった可能性もあるが、本当に中世以前の城であれば、はっきりした城郭遺構は元々無かったかもしれない。
尚、丸山城という城の名は各地にあり、神奈川県下でも3つあるため、ここでは地名の黒川を付して「黒川丸山城」と記載した。
お城評価(満点=五つ星):☆
場所:http://maps.gsi.go.jp/#16/35.617169/139.453679/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0f0
神奈川と東京の県境近くにある丸山城は、歴史不詳の城である。中世の通信基地として物見や烽火台が置かれたと考えられている。多摩丘陵の北辺に位置する丘陵上にあり、西側には鎌倉街道が通り、また飛鳥時代から平安時代にかけては、相模国府と武蔵国府を結ぶ古代東海道がこの付近を通っていたとされ、この街道沿いに併設された烽火台であった可能性も指摘されている様である。
丸山城は、比高僅か20m程の円丘の上にあり、現在は黒川配水場が建てられている為、城内に進入はできない。当然破壊も受けており、遺構は確認できない。大丸城と同じく単郭の砦だった可能性もあるが、本当に中世以前の城であれば、はっきりした城郭遺構は元々無かったかもしれない。
尚、丸山城という城の名は各地にあり、神奈川県下でも3つあるため、ここでは地名の黒川を付して「黒川丸山城」と記載した。
お城評価(満点=五つ星):☆
場所:http://maps.gsi.go.jp/#16/35.617169/139.453679/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0f0
タグ:中世山城
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