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和田山城(石川県能美市) [古城めぐり(石川)]

IMG_7224.JPG←ニノ郭周囲の空堀
(2005年2月訪城)
 和田山城は、1506年に越前守護朝倉貞景によって越前から追われて加賀に逃れた和田坊超勝寺によって築城されたとされる城である。和田山の名も、和田防に由来するとされる。その後、享禄の錯乱と呼ばれる加賀一向一揆の内紛が発生し、和田山城は超勝寺勢力の拠点となった。1575年、越前朝倉氏を滅ぼし越前一向一揆も殲滅した織田信長は、加賀にその勢力を伸ばした。北国軍団長となった織田家重臣の柴田勝家に北の庄城を与え、勝家は鳥越城などの一揆勢力に対する拠点として、佐久間盛政の部将安井左近に和田山城を守らせた。その後の歴史は定かではないが、1600年の北陸の関ヶ原とも言われる浅井畷の戦いの際に、前田利長が陣を敷いた三道山が、この和田山城ではなかったかと推測されている。関ヶ原以後、廃城になったと考えられる。

 和田山城は、和田山・末寺古墳群(国指定史跡)の南端の8号墳・9号墳を利用して築かれた平山城で、現在は公園として整備されている。古墳を主郭の櫓台として利用し、周囲に土塁や空堀、腰曲輪をめぐらしており、特に主郭とニノ郭の周囲をぐるりと巡る空堀は、堀幅が10m程もある見事なものである。ただ、周囲の平地よりわずか20~30mの比高しかないなだらかな丘陵地であるため、峻険さは望むべくもない。それでも往時は低湿地帯に囲まれた要害地形で、軍事拠点として有効だったのだろう。

 お城評価(満点=五つ星):☆☆☆
 場所:http://maps.gsi.go.jp/#16/36.441015/136.507777/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0f1
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