戸祭城(栃木県宇都宮市) [古城めぐり(栃木)]
←城址碑の建つ十九夜堂
戸祭城は、宇都宮氏の庶流戸祭氏の居城である。宇都宮氏7代景綱の弟の子泰貞が、戸祭氏を名乗ったと言う。戸祭氏は南北朝期以来、宇都宮氏の重臣として活躍した。戸祭城は、二荒山神社北方の高地に築かれた、宇都宮城の出城で、1470年、戸祭備中守高定は、山城の一郭に祥雲寺を開創し、戸祭に居館を営んだと言う。
戸祭城は、薬師堂(現在の十九夜堂か)周辺に中城の地名があり、付近の農家の宅地内からは深さ3~4mの南北方向の堀が確認されたらしい。しかし現在一面の宅地と駐車場で、往時の面影は全く残されていない。住宅地の一角に石碑が立っているが、場所が非常にわかりづらい。今回、PNDを持ち歩いてようやく探し当てた。
お城評価(満点=五つ星):☆
場所:http://maps.gsi.go.jp/#16/36.568460/139.880601/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0f1
戸祭城は、宇都宮氏の庶流戸祭氏の居城である。宇都宮氏7代景綱の弟の子泰貞が、戸祭氏を名乗ったと言う。戸祭氏は南北朝期以来、宇都宮氏の重臣として活躍した。戸祭城は、二荒山神社北方の高地に築かれた、宇都宮城の出城で、1470年、戸祭備中守高定は、山城の一郭に祥雲寺を開創し、戸祭に居館を営んだと言う。
戸祭城は、薬師堂(現在の十九夜堂か)周辺に中城の地名があり、付近の農家の宅地内からは深さ3~4mの南北方向の堀が確認されたらしい。しかし現在一面の宅地と駐車場で、往時の面影は全く残されていない。住宅地の一角に石碑が立っているが、場所が非常にわかりづらい。今回、PNDを持ち歩いてようやく探し当てた。
お城評価(満点=五つ星):☆
場所:http://maps.gsi.go.jp/#16/36.568460/139.880601/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0f1
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