SSブログ

布沢城(福島県只見町) [古城めぐり(福島)]

DSC02212.JPG←主郭と東の段曲輪
 布沢城は、横田中丸城主山ノ内氏の庶流布沢氏の居城である。他の山ノ内一族と共に「山ノ内七騎党」と称された。1589年、摺上原の戦いで会津の戦国大名葦名氏を滅ぼした伊達政宗は、奥会津にその勢威を伸ばした。しかし山ノ内氏勝は政宗に従わず頑強に抵抗した為、正宗は降った布沢氏らを先鋒として横田中丸城を攻撃した。しかし間もなく豊臣秀吉の小田原の役となり、秀吉は奥州諸侯に参陣を求め、その後の奥州仕置で不参の奥州諸侯を悉く改易した。小田原に出向かなかった布沢氏もこの時没落した。
 布沢城は、奥会津の中でも更に奥まった山間の地にある。南北を布沢川の支流の沢筋に挟まれた尾根の上に位置し、南の毘沙沢からの比高は110m程である。しかし城への登城は困難を極める。道が完全に途絶しており、藪を突っ切って斜面を直登するしか方法はない。逆茂木の如く立ちはだかる潅木が凄まじく、道なしの辛い攻城である。苦労して尾根までたどり着くと、城の遺構は良好で、主郭とその周囲の腰曲輪が明瞭に残っている。主郭には土塁の他、西側に竪堀の様な細い内枡形の虎口がある。主郭南側の腰曲輪には枡形虎口が形成され、東の段郭群にはかなり埋もれた堀切がある。西尾根はほとんど自然地形に近いが、小さな堀切で尾根筋を防御している。遺構は中々見応えがあるが、小ぢんまりした城で全体に薮が酷く、道も無いのであまりお薦めはできない。

 お城評価(満点=五つ星):☆☆(藪で減点)
 場所:http://maps.gsi.go.jp/#16/37.331095/139.484900/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0f1
nice!(5)  コメント(0) 
共通テーマ:趣味・カルチャー

nice! 5

コメント 0

コメントを書く

お名前:[必須]
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。

Facebook コメント