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竹中半兵衛墓所(兵庫県三木市) [その他の史跡巡り]

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 竹中半兵衛重治は、羽柴秀吉の謀臣としてつとに有名である。遊興に耽っていた主君斎藤龍興を諌めるため、僅かな手勢で難攻不落と謳われた稲葉山城を奪取することに成功したなど、多くの逸話が語り継がれている。織田信長の美濃平定後、秀吉に迎えられてその家臣となった。よく「軍師」と言われるが、史実上はあまり相応しい名称ではない。謀臣または参謀というのが最も適切であろう。後に中国経略の序盤で羽柴陣営に加わった黒田官兵衛孝高と共に、両輪となって秀吉の天下取りを支えた名参謀であった。丁度、漢の高祖劉邦の謀臣、張良と陳平に酷似する。半兵衛は、官兵衛とは気質が異なっていたと言われ、私利私欲や功名心には全く縁のない、水晶の様な人柄であったとされるところも、張良と同様である。半兵衛は、後に若くして肺の病を患い余命幾ばくもなかったが、秀吉の療養の勧めを拒絶して、最後まで三木城攻めの平井山本陣にあって、1579年6月13日、戦陣で病没したと言う。
 平井山の麓のぶどう園の只中には、竹中半兵衛の墓が建てられ、現在まで大切に守られている。現地解説板も、行政の建てたものの他に地区住民や老人会が建てたものがあり、文意も至極丁寧で素晴らしい。何でも付近の人は、半兵衛の命日は仕事を休むらしい。地元でもなく、他所から来た言わば侵略者であるのに、これほど住民から慕われるとは、その人柄が偲ばれる様だ。

 場所:http://maps.gsi.go.jp/#16/34.809170/135.011083/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0f1
タグ:墓所
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