土肥氏館(神奈川県湯河原町) [古城めぐり(神奈川)]
←駅前に建つ館跡の石碑と銅像
土肥氏館は、鎌倉幕府創業の功臣土肥二郎実平の居館である。実平は、1180年、源頼朝が平家打倒の為挙兵すると、早くからこれを援け、石橋山合戦では土肥椙山に敗走した頼朝を匿ってその危急を救い、鎌倉幕府の創設に当たっては、軍監・追捕使・宿老として多くの功績を残した。尚、戦国時代に中国の覇者毛利氏の重臣となり、吉川氏と並んで「毛利の両川」と謳われた小早川氏は、実平の後裔とされている。
土肥氏館は、現在のJR湯河原駅の付近にあったとされているが、早くに遺構を失い、江戸時代後期には既に伝承のみとなっていた。駅付近は10m程の段丘上に位置し、段丘上の館であったと思われる。背後の谷戸には土肥一族の菩提寺、城願寺があるが、この付近は地名を城堀と言い、館跡に由来する地名であると推測される。
お城評価(満点=五つ星):☆
場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/35.145714/139.102546/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0f1
土肥氏館は、鎌倉幕府創業の功臣土肥二郎実平の居館である。実平は、1180年、源頼朝が平家打倒の為挙兵すると、早くからこれを援け、石橋山合戦では土肥椙山に敗走した頼朝を匿ってその危急を救い、鎌倉幕府の創設に当たっては、軍監・追捕使・宿老として多くの功績を残した。尚、戦国時代に中国の覇者毛利氏の重臣となり、吉川氏と並んで「毛利の両川」と謳われた小早川氏は、実平の後裔とされている。
土肥氏館は、現在のJR湯河原駅の付近にあったとされているが、早くに遺構を失い、江戸時代後期には既に伝承のみとなっていた。駅付近は10m程の段丘上に位置し、段丘上の館であったと思われる。背後の谷戸には土肥一族の菩提寺、城願寺があるが、この付近は地名を城堀と言い、館跡に由来する地名であると推測される。
お城評価(満点=五つ星):☆
場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/35.145714/139.102546/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0f1
タグ:居館
2012-05-02 02:00
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