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根府川城(神奈川県小田原市) [古城めぐり(神奈川)]

DSC06122.JPG←山中に残る土塁
 根府川城は、根府川要害とも言い、江戸時代の文献では「氏直之構」と記載される城である。豊臣秀吉との関係が極度に緊迫してきた小田原の役前夜の状況の中で、北条氏直が小田原城防衛の為に築いた城と言われている。城主は、北条氏の重臣で田原城主であった大藤氏の一族であったらしい。1590年に、秀吉が諸大名に大号令を掛けて北条征伐を始めると、序戦で箱根第一の要害山中城を大兵力で猛攻し、わずか半日で落城させた。山中城を抜かれた北条方は、兵力分散を避けて小田原城に諸城の兵を撤収させ、根府川城兵も足柄城兵等と共に小田原城に退き、根府川城は北条氏の滅亡に伴ってそのまま廃城となった。

 根府川城は、箱根山中の多くの城がそうであるように、古道を扼する要害であった。その形態は、城と言うより古道を防衛する長塁で、「要害」と言う方が実情に合っている。小田原城カントリー倶楽部へ向かう林道から分岐した山中の車道から、尾根を東に下って行くと、古道は堀底道状となって尾根筋を走り、その脇に高土塁を並走させている。そこを更に数百m下って行くと武者隠しとされる枡形の平場があり、その先に数段の広大な緩斜面が広がっている。この斜面の南北の辺縁部には土塁があり、櫓台らしき土檀も散在している。また薮がひどいものの空堀も確認できるほか、土塁の屈曲部付近の上部には小石が散乱し、戦闘用の石であったと思われる。全体的には、中心的曲輪がはっきりせず、防御構造も中途半端に感じられ、急ごしらえの城という印象が強い。また車道の上方にも遺構があるらしいが、荒れていてよくわからなかった。

 尚、根府川城の訪城に当たっては、HP「土の古城探訪」を大いに参考にさせて頂いた。

 お城評価(満点=五つ星):☆☆☆
 場所:http://maps.gsi.go.jp/#16/35.205794/139.117116/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0f1
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